『アーカイブを纏う人・建物・街』を終えて、『アーカイブ』を考える対話(後半)

『アーカイブを纏う人・建物・街』を終えて、
『アーカイブ』を考える対話(後半)


『アーカイブを纏う人・建物・街』を終えて、『アーカイブ』を考える対話(前編)はこちら


本間さん:興味深い引用ありがとうございます。
たしかに山口さんのご指摘のように、アーカイブというのは管理や意識/意志の内にあるもので、建築や都市に刻まれた時間や痕跡の厚みは無意識に堆積されていくものですね。(一報で、ベルリンの壁のように意識的に残されたものもありますが) その厚みが少し剥がれて判読可能になったものの一つがトマソンだったりするわけで。路上観察はそれらを積極的/余興的に読み取る行為(趣味)です。
あと関係するところで、篠原一男は建築写真から徹底的に生活感を排除して自分の範疇の空間を撮影させた建築家で有名ですが、縁があって今の「白の家」を見学させていただいた時に、ものすごいインテリアの量で空間が生活感に溢れていて、建築家の恣意の外にある、生活者の時間の厚み(生きられた家)を感じることができて、とても印象的だったことを思い出しました。
とりとめがないですが、山口さんの感想をお聞きして。

北川さん:山口さん、本間さんのコメント、すごく考えさせられます。本人は痕跡を残したくないと思い自然の中に消えていきたいと思っても、次の世代の人がそうしなかったからアーカイブとして残っているという場合もあると思います。 そして、僕が前回あげた例はそれらだと思います。作った本人の意思、恣意を超えて、それを受け取った人が自ずから(無私)媒介者としての役割を果たすということはないでしょうか。それも恣意的な行為だと思います。 山口さんの指摘通り、アーカイブは管理された公式記録ですが、僕が上げた例も、その域を超えないと思います。カルロスカルパのような後人達が価値を見出したものだけが恣意的に残っている例を上げたに過ぎないと思います。本間さんが言うように歴史とはそういう人為的なものだと思います。
アヴァンティップの人達も自然と文化の対立からは完全に逃れられてないようにも感じます。確かに最小限の痕跡しか残してないように人間は考察してても、自然からしたら、一歩人が立ち入るだけで生態系が変わってしまうというような話を熊野古道のくだりで聞いた事があります。 要するに人が入る事自体が人為的な行為であるかもしれません。
山口さんの「アーカイブとは墓や記念碑のようなもの」というのは名言だと思います。確かに実用性は伴わないですね。だから必要とされてないのかもしれないですね。自然の摂理とは全く関係のない人工的な側面も強いと思います。だけど、それって町に必要だ!!みたいなある種ナイーブな話をしているのかもしれないですね(笑)。



田和さん:こう盛り上がってると前夜祭したくなりますね(笑)
山口くんが言うような、正統性を主張する、編纂された歴史をアーカイブとするなら、そのなかの異物というか、ずれてる部分にみんな惹かれてるんじゃないですか?人間、痕跡を消して暮らすことはできないし、たまに、それが嫌で引っ越したくなります。
あと、人の痕跡って、演出によってはすごく不気味になるはずなのに、みんな何とはなくそれをいいものと感じてそうな話の流れで、その気分の根源はなんなんだ、って気になってます。都市の正統性ってなんだ、って話ですが。

三木さん:みなさんの発言の毎回が新たな視点が加わるのでようやく全体像というか、”アーカイブ”と、その言葉でいえないものが、わかりはじめました。こうして、思考のバトンが繋がるのがすごく楽しいですね。

山口さん:痕跡、記憶、記録、ログ(履歴)、といった類似概念と使い分けるべきでしょうね。ネット上では利用者がアーカイブを残そうとしなくてもグーグル等によってログが残されます。ログの語源を調べたのですが、ロゴスと関係があるという予想を裏切って、ログハウスのログ、丸太でした。元来は航海日誌という意味で、航海において船から丸太を落としてそれとの距離で船の速度を計測したことに由来するそうです。もう一つ、プロクロニズムという概念があります。生命は成長の過程を形態の中に留める。そのことをいいます。こちらのほうが、建築の時間の厚みに関わる概念なのではないかと思います。



北川さん:皆のいろいろな視点、思考が加わってきてとても面白いですし、勉強になりますね。 ちょっと長くなりますが、皆のコメントを踏まえて僕がアーカイブという言葉で論点にしてたことをまとめてみました。
山口さん、本間さんが言うように「経年によって無意識的、自然に建築や都市に刻まれた痕跡の堆積」がモノに厚みを与えていると僕も思いますが、僕がアーカイブという言葉で表現したかったのは、それとは違うんですよ。 アーカイブの語源アルケイオンは公式記録の事で元々はそれらが集積されていた行政の事務所の事も指すらしいんですが、つまり人が意識的に選択的に残した記録だと思います。 なので、僕が前回の勉強会で扱った部分は、人為的な記録に限られた狭い話だ思います。山口さんの概念分け(痕跡、記憶、記録、ログ)を借りると、記録、特に町の話だったので公式記録の堆積みたいなことだと思います。 ベネチアの例にしても水の行政官が(自然の水の流れを読みながらも)人為的に選択的に建物や街を変化させていました。 ただ、どの例でも共通していたのは「先例」をすべて壊し刷新しているのではなく少し残しているということですが、その事によって建物や街が素材の経年変化による痕跡が残ってて良いというような物理的なモノの古さの事を言いたかったのではなく、むしろ、その事によって生まれる多様性、解釈の多様性のような話をしたかったという感じです。 ローマの街を古い建物が残っているから雰囲気があって良いと言ってるのではなく(もちろんそれはありますが)、いろんな時代の建物、都市計画が混在していて多様性があるから豊かだと言ってるようなものでしょうか。
そこから大分飛躍して、アーカイブを纏うみたいな話になったんですが、極論を言えば、「人は自分の部屋の本棚を見せ合うようにして、アーカイブを媒介して、コミュニケーションをとってるんじゃないか」ということまで考えてました。 上から目線で少し暴力的に展開させてもらいますと、今の日本人は独自の本棚(アーカイブ)を持っておらずテレビなど画一的なメディアの情報でコミュニケーションを取っていて、服も家もそういった大きなメディアから与えられた情報で纏わされている。セリーグですね。 メインストリームから外れた人は、スライドで紹介したオジさんのように休館日の図書館の駐車場でギターを弾いてたりします。 ゲリラの在り方やフェズ、アムステルダムの街はパリーグ的な多様性をもった事例として紹介したつもりです。 今日の闇市も、規制し画一化しようとするGHQや行政に対するゲリラとして僕は(今のところ)考えています。上から外から規制するものに対して、下から内からといったイメージです。
あと本間さんが貼ってくれたリンクにあるアイヌ人の話もとても面白かったです。自分達はグローバル化してスーツ着てるのにアイヌ人に民族文化の保存を求めるのはおかしいという指摘は最もだと思います。 でも「あんたもグローバル化しちゃってんだからアイヌの人だって良いじゃん」というのも逆に一方的な感じも受けました。最後の部分にアイヌ人が選択の余地なく日本語を使わされていると書いてますが、それが今度は英語に(ある部分では)なって来てるようにも思います。 そういう事に疑問を投げかけると、すごく保守的に聞こえるかもしれないですが、そう思うのは上記の多様性の件と同じ理由だと思います。
あと、プロクロニズムという概念面白いですね。事象が起きる前に記された記録であるとすれば、植物的、自然的な感じがしてきました。建築家なしの建築とか近いようにも思えるのですが、どうでしょうか?

山口さん:プロクロニズムはアナクロニズム(時代錯誤)の一種で、ある時代を表しているとするもの(歴史絵画など)に、そのときにはまだないはずのものが書かれていたりすることみたいです。でもなぜかグレゴリー・ベイトソンがプロクロニズムということばを経歴が形に記録されているみたいな意味で使っていて、その意味で使いました。ドミニクチェンというひとが、ベイトソンの意味でのプロクロニズムの概念をつかってインターネットの研究をやってるみたいです。で、北川さんの意見は、アーカイブという言葉を経歴の(意識的で公的な)表現として使おうということだと思います。表現と表出が区別されます。表現はコミュニケーションのために意図的に編纂されているけれど、表出は独り言や罵りのように感情や何かのはけ口にすぎません。今日の日本の都市の景観は、表現より表出の場になってしまっているといえるかもしれません。

北川さん:なるほど、僕は何となくですが遺伝子のような記録のイメージをベイトソンの意味でのプロクロニズムという言葉から受けました。 日本の都市景観が独り言のような表出の場になっているという感じはよく分かる気がします。ただそれよりも僕が末期的だと思うのは、表出の場にすらなっていない郊外住宅地のような場所です。 写真家のアントワン・ダカタは現代の郊外住宅地のことを強制収容所と読んでいました。ところで、しつこいですが平均顔のくだりで思い出したことを一つ書かせて下さい。 クラウド・アトラスという映画(https://www.youtube.com/watch?v=XPQTWE-uj5k)を見てて思ったことなんですが、この映画では時代や国を超えて韓国人のペ・ドゥナが特殊メイクで白人になったり中年のメキシコ人になったり、黒人のハル・ベリーが白人や男の役をやっていたりと他の役者も同じように男女、国籍、年齢問わず一つの映画で重複して役を演じているのですが、どこかに違和感が残っていて、それが(好き嫌いは別にして)妙に印象に残るキャラクターを作っていました。 検索では「average look」と入れたら出てくる画像を発表した時のスライドにも載せたのですがよく考えると重ね合わせ顔を平均顔というのかは疑問です。 平均というよりも混在という感じもします。 個々の情報の差異を無効化することでフラットにしているというよりも、どんどん重ねていることで多様性が担保されているというと大袈裟でしょうか。 あと、友達から聞いた雑なネタですが、いろんな国で10人くらいの国籍もバラバラの顔写真を並べて、それぞれ異性にどの顔が好みかという調査をした所、混血系で色が少し浅黒い人が一番人気だったらしいです(笑)あくまで好みの話ですから。ハーフの子が可愛いとかいう話と似た話かもしれません。 顔の好みの話になると下世話な話題のようにも聞こえますが、ただのメタファーですから。

田和さん:平均顔が美しいと感じるのは、多様性があるから、ではなくって多様性があることでそのなかに見る側がそれぞれの見たい美を見てるから、という感じですか。
以前、三木さんと数人でまち歩きをして、終わったあとに感想を話したところやる前に想像した以上に着目するところがずれて、すごい面白かったんです。
なにかを好きな理由は掘り下げればみんな違うんだな、と実感した出来事でした。
クラウドアトラス、わたしも見たんですが、わたしは誰がどこに出てるか、あんまり気づけなかったんです。構成は火の鳥みたいな感じですよね。違う顔になれること、みんな楽しんで演じているように思えました。

北川さん:そうですね、皆、自分の色眼鏡でもって見ているということはあると思います。「建築の豊かさとは解釈の多様性だ」という岸和郎先生の言葉を思い出します。 クラウド・アトラス、僕も映画を見てる時は違和感を感じただけで誰かは気づかなかったです。エンドロールで、種明かしみたいな感じで顔写真付きで紹介しててびっくりしました。

三木さん:平均顔の話しで、私もずっと気になっています。人類も一生物として、強い個体が生き残るように選択されていくとすれば、多様な遺伝子?を持っている方が強いのだと思います。だから混種のほうが草花も動物も生き残る可能性が高まる=強いのですよね?それで、平均顔が美しいと見えるのであれば、それは人類が混血(という表現でいいのかわかりませんが)多様なDNA同士が混ざり合っていく結果が魅力的なものに見えるようにプログラムされているのかなと思いました。近いDNAばかりが子孫を作ることのないように最初から備わった美意識のプログラムなのでは?

北川さん:そうですね、強度のようなものはあるのかもしれないですね。 ただ、本間さんの指摘で僕が理解、同意できるのは、混ざり合って各々のエレメントが均一化すると、のっぺりしたものになるというところです。 どういった単位で一括りのエレメントと言って良いのかは難しいところですが、各々のエレメントが均一化せず、独立した状態を保った上で混在しているものに僕は魅力を感じます。 混種の雑草のようなものだけが生えている庭よりも、多種多様な草花が生えている森のような状態でしょうか。 複雑系、吉阪隆正の「不連続統一体」みたいな(笑)

三木さん:確かに弱いも強いも、適材敵種のように、場所を変えて共存できるのが多種多様な状態ですね。パーマカルチャーの農園作りもそのように考えるみたいですね。聞いた話で詳細はわかりませんが、湿った場所と乾いた場所、高低さなどいろんな場所を造って共存できる農地を作るみたいですね。パーマカルチャーでは昆虫も含めて共存系ができ、極力外部(人間)の手を加えない状態(害虫駆除や除草などをしなくても成り立つ状態)ができると良いとききました。確かにそういうのって強い雑草が単独種で覆い茂る状況とは違いますね。



以上が 勉強会02-2からの続編 『アーカイブ』について考える対話です。
レクチャー(勉強会)では深められなかった議論を後日チャット上で複数名で交わしました。長く繋がる私たちの「文化」や「歴史」というものや、その集積である「まちなみ」に対して、私たちはどうような態度で進んでいるのか。あるいはこれから進んでいくのか、改めて意識的になりました。

北川浩明さんから投げかけられた 『アーカイブを纏う人・建物・街』 というテーマに対して少し考え始めてみると、自ずと先代や祖先といった過去と、子供、孫などの未来に思いを馳せ、翻って今の自分、あるいは今の社会が客観的に見えてくるような気がします。歴史や文化は地域によって異なるものですが、それに対する人々の態度も地域や時代によって異なるものの様で、その「態度」についてはもう少し他の地域や時代の例を知りたくなりました。
例えばそれは、自らの痕跡を残すのではなく、消す文化を持っているというアヴァンティップ族の例然り。
どのような態度で歴史、文化と向き合うのか。
その違いが都市に現れるのだとすれば、まちなみを探るということはやはりそこに住まう人々の内面にも近づくということのようです。
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by machinamiproject | 2014-11-30 01:11 | Seek machinami


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