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12月6日 ―自律的建築を目指して 〜本町エスコーラの活動〜―

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Seek machinami 03-1 (勉強会)を
126日日曜日に開催したいと思います。

自律的建築を目指して
〜本町エスコーラの活動〜


日時: 12月6日(日)
開場: 13:00
開始: 第1部 13:30~14:45
     休憩(15分~30分)
    第2部 15:15~16:30
   
場所:一般社団法人文化政策・まちづくり大学校内     旧成徳中学校2階セミナー室
    京都市下京区高辻通室町西入る繁昌町290番地 (旧成徳中学校)
    地下鉄「四条駅」南改札口より、烏丸通りを南へ約100m、高辻通りを西へ約150m

会費: ¥500(飲み物と資料印刷費)
定員: 20名ほど



自律的建築を目指して 〜本町エスコーラの活動〜

 建築におけるDIY(Do It Yourself)リノベーションによる注目が集まっています。DIYリノベーションは「自律的建築」つまり居住者自らがその価値判断の現れとして作り出していく建築の、一つのあり方として捉えることができるのではないかと思っています。

 本勉強会では自律的建築の理論と実践について議論したいと思います。実践として取り上げるのは、私が携わっている長屋の改修・運営プロジェクトの「本町エスコーラ」です。本町エスコーラは「自律的コミュニティ」、「自律的建築」、「自律的インフラ」を3つのコンセプトとして、空家となっていた8軒の長屋を住居、アトリエ、オフィス、ギャラリー、コミュニティスペースとして改修・運営するものです。

 私たちのこれまでの勉強会で、人間の「家畜化」の問題がひとつの焦点になってきました。人々がますますコントロールされ、支配され、管理されるようになっている。(「植民地化」と言っても良いかもしれませんが「社畜」という言葉もあるし「家畜化」で良いかと思っています)。この「家畜化」は、(他の動物の家畜化と異なり)行動を物理的に方向付けることによってのみならず、特定の価値観の内面化を強いることによってなされています。この両面において、建築は、人間の家畜化のための手段となっている。このことにたいして、建築家はどう応答すべきなのか。

 「家畜化」には歴史的な経緯があります。山本理顕が言うように近現代の「住宅」は19世紀以降の産業革命の進展に伴って登場した労働者住宅に端を発しています。それ以前は「居住専用住宅などなかった」のであり、住居は仕事場を兼ねていました。そして住居のなかの仕事場は公共空間と私的空間の間にある「閾」の空間でした。閾が人々を結びつけ自律的なコミュニティの成立を可能にしてきました。しかし産業革命によって工場労働者を大量に確保する必要が生じます。労働者住宅は労働力を標準化・均一化し再生産するための手段でした。そこで労働力は家族ごとに分離されて管理されることになります。私たちにとって分かりやすいのは「団地」や「マンション」です。私的空間と公的空間は鉄の扉で区切られています。山本が「閾」と呼ぶような中間領域は存在しません。現在、京都では多くの町家が壊されてマンションに置き換えれて行っていますが、町家もまた「ミセ」という閾の空間を持っていました。

 人間の「家畜化」を問題にしているのは、それが人の「自律」に反するからです。自律とは自分の価値観に準じて生きることです。自分の価値観に準じて生きていれば、人は学習することができます。フィードバックループがあります。他律とは他者の価値観に準じて生きることであり、この場合失敗しても結局他者の責任なので人は学習しません。学習の前提となるのは、価値観についてのフィードバックループです。変化に対して開かれていることです。「自分の価値観」といっても社会や環境との関わりのなかで形成されるものであり、何かのヴェールを取り除くことで自己の本質として見いだされるものではないでしょう。周辺環境の雑多なものも含めてうまく循環するようにしていくことが学習だと考えます。私の倫理観では、この学習の循環というのがもっとも大切なのであり、功利主義的な観点から人々に快適な空間を提供することがこの循環を断ち切ってしまうのなら、それは本末転倒なのです。

 自律というのは周りの環境と無関係に成立するということではありません。環境と自分の関係をみないといけません。すると自分が自律的であるためには、多くのものに依存することが必要だということがわかります。依存できるものが少ないと、自律が難しいのです。自分のまわりの環境とは、社会的な観点からはコミュニティであるし、フィジカルには建築やインフラだったりします。
 
 コミュニティや建築は個人の自律をたすけることもできれば、じゃますることもできます。個人の自律をたすけるのは自律的コミュニティであり、個人やコミュニティの自律をたすけるのは、自律的建築や自律的インフラです。
 
 自律的コミュニティとは、コミュニティが自らの価値観に準じて動くことです。あるいは問題を設定し解決するコミュニティという意味です。専門家に何が問題かを教えてもらうのではなく、あるいは行政に問題の解決を任せるのではなく、自分たちで感じて考えて動ける、そういうコミュニティです。これは政治的な観点からも大切です。民主主義の前提となるのは自律的な個人ですが、自律的な個人は自律的な共同体を前提とすると言われています(宮台 2012)。自律的インフラとは、資源の部分的な自給のことです。集中的にコントロールされたインフラから独立した、分散的インフラです。部分的な自給というのは、依存先を増やすことです。

 今回の主題は自律的建築です。どのような建築が、個人やコミュニティの自律を助けるのか、山本のように空間構成の面から論じることもできるでしょう。空間構成の面で興味深いのは、近年のコミュニティを意識した建築において、半公的空間にキッチンが置かれることが多いことです。山本が述べる古代ギリシャの住宅において、台所は建物の一番奥にあって、そこでは奴隷が働いていました。

 しかし今回はむしろプロセスの面から見て行きたい。自律的建築とは、自たちの住環境を自分たちの価値観に従って自分たちで作って行くことだと言うことができるでしょう。

 イギリスの建築家でジョン・ターナーという人がいます。ターナーは1950〜60年代のラテンアメリカにおける調査研究を通して、当時優勢であった都市計画においてはスラムとして否定的に捉えられていたインフォーマルな住居に積極的な価値を見いだしました。ターナーはスラムクリアランスの後に建てられる公共住宅のように行政が中心となって計画・建設・管理する「他律的住居システム」と、インフォーマルな居住地のように利用者が中心となって計画、建設、管理を行う「自律的住居システム」を対比します(図1)。そして利用者の満足だけではなく経済的な持続可能性からも後者に優位性があり、公共セクター(public sector)の主な役割は資源の公平な分配に置くべきだと主張したのです。

図1自律的住居システムと他律的住居システム
(出典:John F. C. Turner:Housing by People,Marion Boyars, 1976)


 
 公共セクター、民間セクター、民衆セクターの区分は、国家、市場、コミュニティと言い換えることもできます。これらは、ポランニーの言う「再配分」、「交換」、「互酬」という3つの経済的パターンに対応しています。

 その後の新自由主義的傾向とグローバル経済の拡大を経て、今日むしろ問題となるのは民間セクター(private sector)による都市の資本主義的な再開発です。「マルクスが言うように、資本主義は剰余価値(利潤)の永続的追求にもとづいている。しかし剰余価値を生み出すためには、資本家は剰余生産物を生産しなければならない。このことが意味するのは、資本主義は、都市空間の形成に必要とされる剰余生産物を永続的に生産するということである。逆の関係もあてはまる。資本主義は、それが永続的に生み出す剰余生産物を吸収するような都市空間の形成を必要とするということである」(ハーヴェイ 2013)。そして、「経済の発展=開発はまた、商品なしに暮らすことを可能にしていた諸条件が物理的・社会的・文化的環境から消え去ったがゆえに、まもなく人々が商品を買わざるをえなくなるということをも意味している」(イリイチ 1990)。住居や都市は民間セクターによって資本の拡大のための手段として計画・建設されることになる。このことはしばしば、民衆セクター(popular sector)つまり利用者にとっての住居や都市の使用価値を損なうのです。

 今日、行政主導あるいは民間資本主導のまちづくりの両方の弊害が認識され、コミュニティ主導によるまちづくりの重要性が説かれていると思います。こうした背景において、民衆セクターのコントロールに重きを置く自律的住居システムの理論は、依然として妥当性を持つと考えます。私はDIYをこの文脈で理解しようと思っている。DIYは民衆セクターが建築を建築家などの専門家から取り戻す手段になりうる。

 しかし、コミュニティ主導によるまちづくりが、単に地域住民の参加によるまちづくりという意味に捉えられ、「専門家」のコントロールの下で行われるのなら、むしろそれは「家畜化」を押し進めることになる。DIYによる建築のリノベーションもまた、ワークショップとしてパッケージ化され、産業化され、建築家などの専門家にコントロールされるならば同じではないだろうか。

 コミュニティを、市場や行政からは独立した価値観の源泉としてみなすことで、コミュニティが市場や行政の価値観の下に組み込まれることに抗う必要があると考えます。このことはしかし、単に市場の拡張や行政の管理に抗うということではありません。おそらく止めようのない流れがある。

 楽観的な見方なのかもしれないけれど、3つのセクターがそれぞれに還元不可能なそれぞれの価値観の中でより良いシステムを組織化し、相互の対立をコントラストに変えて行くことは、それぞれにとって好ましくさえあるのではないか。


参考文献 

Turner, John F. C. : Housing by People, Marion Boyars, 1976
綾屋紗月、河野哲也、向谷地生良 、Necco当事者研究会 、石原孝二、池田喬 、他:当事者研究の研究 (シリーズ ケアをひらく)、医学書院、2013
イリイチ、イヴァン:シャドウ・ワーク、岩波書店、1990
ハーヴェイ、デヴィッド:反乱する都市 資本のアーバナイゼーションと都市の再創造、作品社、2013
深尾葉子 :魂の脱植民地化とは何か、青灯社、2012
ポランニー、カール:経済の文明史、日本経済新聞社、1975
宮台真司(監修):統治・自律・民主主義―パターナリズムの政治社会学、NTT出版、2012
安冨歩:合理的な神秘主義ー生きるための思想史、2013
山本理顕:権力の空間/空間の権力 個人と国家の〈あいだ〉を設計せよ、講談社、2015



プロフィール: 山口純 (やまぐち じゅん)
1983年、川崎生まれ。2007年、京都大学工学部建築学科卒業。2009年、京都大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了。2014年、同博士課程修了(博士論文:C. S. パースの探究の理論に基づく設計プロセスのモデルの構築)。博士(工学)。専門は建築設計方法論。立命館大学専門研究員。本町エスコーラ・ディレクター。大見新村プロジェクトかり部・部長。狩猟免許所持(わな猟)。趣味は革鞣し、靴づくり、ビンテージ自転車の修理。


無事開催できました

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参加者の感想はこちら

# by machinamiproject | 2015-11-09 23:21 | Seek machinami

今に生きる歴史 ①

長らく更新をしておりませんでしたが、
日々、いろんな出来事に出会いながら過ごしていると、ふとその中から気になる事が出てきて、いつの間にかそのたくさんの気になる事を頭の片隅においたままでいると、あるときそれらが繋がってくることがあります。
その時のつながり具合によって、なぜ気になっていたのかがようやく見えてくるのですが、今の興味が年表にすると明解になりました。

仕事の中で、昭和初期のRC造の建物の内装改修工事に携わった事がきっかけで、当時の工法やセメントについて興味がでてきました。
その建物の当時の仕上げ材料表の中に現在では使われなくなった製品名があり、調べていると南満州鉄道株式会社が当時の市場の製品調査を報告している資料がデジタルアーカイブにたどり着きました。そこには細かな材料報告が載っていて、その調査をした組織自体に興味を持ち始めました。

そんな中、今年6月兵庫県豊岡で開かれた全国町並みゼミへ参加をしてきました。
城崎にしか行ったことが無く、豊岡の街に降り立った事が無かったので、今回のまちあるきはとても新鮮でした。豊岡市の駅前の震災復興建築を見学し、大正時代から作られているというロータリーを見学。
そのロータリーの中央に建てられた銅像の人物について教わりました。
彼の名前は中江種造氏。「鉱山王」として財をなし、銀行・製糸工場・煉瓦工場などの経営にも関わったと載っている(Wiki) そして豊岡市上水道建設費を全額寄付したので現在でも水道祭りがロータリー周囲で開催されるそうです。当時丹後鉄道の敷設などの「大豊岡構想」が推し進められていたので、鉄道敷設に欠かせないトンネル工事用のレンガ製造も彼が担ったと聞きました。

また別の方面から、
昨年に私が台湾を訪れたときに旧日本統治時代の建物、まちなみが残っていて、その都市計画に興味をもちました。商店街はコンクリートやレンガで連なっており、洋風な町並みのようでいて、規模は小さくアジアの中の西洋風という雰囲気がします。
この台湾で鉄道事業を推し進めた人物の一人に後藤新平という人がいます。当時民政局長としての彼は、”台湾における調査事業として臨時台湾旧慣調査会を発足させ”(wiki)たそうで、後で繋がりましたが、この調査会と同じような組織を南満州鉄道でも彼が初代総督となり作ったそうです。
"「生物学的開発」のために調査事業が不可欠と考え、満鉄内に調査部を発足させている”(Wiki)

これらのつながりから、豊岡市の近代化、台湾、満州、そして日本のコンクリート建造物を使用した近代化の時代とが一連として興味が湧きました。そのコンクリート建築は、震災復興、防災への対策として日本の社会が必要とした西欧に見習う新技術だったのでしょう。
江戸時代、幕末なども未だ知識不足ではありますが、日本の近代化への流れは現代の社会に直結しています。古い建物を修復する中で明治、昭和期の建物と対峙して、自分自身の何かが動かされているのかも知れません。 

このあたりの歴史把握をゆっくりと繋げて深めていこうと思います。
その為に自分用の年表を作成しました。まさに上記2者に沿った年表です。
これを軸に、日本の近代化の歴史を探って行きたいと思います。
不学の為まだまだ知らない事だらけですが、この年表あたりで繋がりそうなことがあれば教えていただければありがたいです。

M.K
*青が豊岡、黒が日本全体もしくは後藤氏、赤が京都に関する事項です

今に生きる歴史 ①_b0150748_0231327.jpg

# by machinamiproject | 2015-08-22 00:13 | Project

12月23日のSeek machinami02-3 場所と時間が決まりました!


12月23日の 時間と場所が決まりました。

13:00開場 13:30開始 です。

場所:RAD office 京都市中京区恵比須町531-13 3F
RADさんの事務所をお借りして開催させていただきます。

13:00 Open
13:30 Start (第1部 松本氏によるレクチャー)
15:00 休憩
15:30 Restart (第2部 座談会)
17:00 終了
参加費 1000円/人 
飲み物食べ物 持込可 
18:00~ 夕食(懇親会)近くのご飯屋さんで ☆参加連絡ください。
参加費 別途
そろそろ参加確定されている方は、このページか、
以下のメールアドレスのご連絡ください。
kyoto.machi.project(@)gmail.com
*@横の( )を消して送信ください。
みなさまどうぞよろしくお願いいたします。
# by machinamiproject | 2014-12-24 00:23 | Seek machinami

Seek machinami02-3 開催決定!

『都市組織の重層性としての歴史都市』 ―パリ再開発事例の検証


今回は、日本の都市空間から外へ出て、フランスの歴史都市パリにおけるまちなみや都市再開発について、勉強をしようと思います。
18世紀後半フランス革命以降、貴族所有の土地が資本家によりパサージュ(仏: passage)として再開発され,19世紀半ば頃のオスマンによるパリの大改造計画により非衛生的だったパリに光と風を入れることを主目的として再び大規模な都市開発がなされています。さらに現在ではZAC(Zone d’Aménagement Concerté:協議整備区域)とよばれる再開発地区を設定し、先進的で実験的な都市計画事業を計画しています。
このように歴史都市パリは常にある新陳代謝を続けており、その際に発生する諸問題や、解決の歴史、彼らの都市の捉え方などを探りながら、都市組織の重層性としてお話しいただきたいと思います。
また、
前回のスピーカー・石槫督和氏の「都市の生成とマーケット」は、
闇市の発生と衰退を題材として、都市部での災害や戦争をトリガー、残っているインフラや地形を与条件とし、自律的に生まれる運動を観察したものでした。
一転、松本先生が研究されているパリ郊外の再開発は、計画的に「都市を作っていく」行為であり、
前回のマーケットが与条件によって発生するののとは違い都市に対して意図的にきっかけを与え、現象を起こすものだと私たちは考えます。
都市が衰退する・発展するきっかけとはどういうものなのか、再開発の現場では歴史的な価値というものはどう取り扱われるのかなどを松本先生のレクチャーと前回の事例を踏まえ、改めて考える機会をつくりたいと考えます。
前半は松本先生によるフランスパリの都市開発の事例に関するレクチャーをお聞きし、後半は異国の事例を踏まえて、今私たちの住む都市、共同体について、参加者の皆様と議論ができればと思います。

歴史都市がどのように生成変化していくのか、 景観法令において先進国であるフランス国の、現在も政治経済共にその中心であるパリにおけるその仕組みをいくつか事例紹介し、京都はじめ他の歴史都市を未来に向けて考えていくための議論の契機となればと思います。

日時: 12月23日(火曜日祝日)
開場: 13:00(決定)
開始: 13:30~(決定)
場所: RAD office 京都市中京区恵比須町531-13 3F 
会費: ¥1000
定員: 20名ほど

12月23日の 時間と場所が決まりました。

13:00開場 13:30開始 です。
場所はRADさんの事務所をお借りして開催させていただきます。

13:00 Open
13:30 Start (第1部 松本氏によるレクチャー)
15:00 休憩
15:30 Restart (第2部 座談会)
17:00 終了

参加費 1000円/人 
飲み物食べ物 持込可 
18:00~ 夕食(懇親会)近くのご飯屋さんで ☆参加連絡ください。
参加費 別途

参加される方は、できれば以下のメールアドレスのご連絡ください。
kyoto.machi.project(@)gmail.com
*@横の( )を消して送信ください。

みなさまどうぞよろしくお願いいたします。




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プロフィール
松本 裕 (MATSUMOTO YUTAKA)

大阪産業大学 デザイン工学部 建築・環境デザイン学科准教授
1966年生まれ、京都大学工学部建築学科卒業、同大学院建築学専攻修了(工学修士)、同博士後期課程単位取得退学。 フランス国立パリ建築大学ベルビル校(DEA学位)取得。
主な著書・論文:平尾和洋+末包伸吾編、松本裕他著 『テキスト建築意匠』、学芸出版社、2006 
Yutaka MATSUMOTO,“Mutation du tissu parcellaire” in LE SENTIER,BONNE NOUVELLE de l'architecture à la mode, Werner SZAMBIEN et Simona TALENTI (sous la direction de), Action Artistique de la Ville de Paris, 1999, pp.163-165

「<ポスト・オスマン>期のパリ都市空間形成 ―レオミュール通りにおける都市組織の変遷をめぐって―」   『シリーズ 都市・建築・歴史 第6巻-都市文化の成熟』[鈴木博之・石山修武、伊藤毅、山岸常人 編集]、東京大学出版会、2006、pp.315-366.
『ル・コルビュジエ事典』 松本裕 (分担共訳)、ジャック・リュカン監修/加藤邦男 監訳 ジョルジュ・ポンピドー・センター 編、中央公論美術出版社、2007
『卒業設計コンセプトメイキング』、学芸出版社、2008 
「<ナレッジシティー(knowledge City) 都市変換>への試行」
CASABELLA JAPAN、2009/11 781号、pp.34-36
「大都市近郊高密度工業集積地における都市空間形成に関する研究~大阪市における道路整備事業と東大阪の都市的展開」 大阪産業大学産業研究所、2012 、pp.171-195.
田園都市 La Cité-Jardin »,Vocabulaire de la spatialité japonaise, Philippe BONNIN edition, CNRS, 2014,pp.101-104.
# by machinamiproject | 2014-12-23 12:58 | Seek machinami

『アーカイブを纏う人・建物・街』を終えて、『アーカイブ』を考える対話(後半)

『アーカイブを纏う人・建物・街』を終えて、
『アーカイブ』を考える対話(後半)


『アーカイブを纏う人・建物・街』を終えて、『アーカイブ』を考える対話(前編)はこちら


本間さん:興味深い引用ありがとうございます。
たしかに山口さんのご指摘のように、アーカイブというのは管理や意識/意志の内にあるもので、建築や都市に刻まれた時間や痕跡の厚みは無意識に堆積されていくものですね。(一報で、ベルリンの壁のように意識的に残されたものもありますが) その厚みが少し剥がれて判読可能になったものの一つがトマソンだったりするわけで。路上観察はそれらを積極的/余興的に読み取る行為(趣味)です。
あと関係するところで、篠原一男は建築写真から徹底的に生活感を排除して自分の範疇の空間を撮影させた建築家で有名ですが、縁があって今の「白の家」を見学させていただいた時に、ものすごいインテリアの量で空間が生活感に溢れていて、建築家の恣意の外にある、生活者の時間の厚み(生きられた家)を感じることができて、とても印象的だったことを思い出しました。
とりとめがないですが、山口さんの感想をお聞きして。

北川さん:山口さん、本間さんのコメント、すごく考えさせられます。本人は痕跡を残したくないと思い自然の中に消えていきたいと思っても、次の世代の人がそうしなかったからアーカイブとして残っているという場合もあると思います。 そして、僕が前回あげた例はそれらだと思います。作った本人の意思、恣意を超えて、それを受け取った人が自ずから(無私)媒介者としての役割を果たすということはないでしょうか。それも恣意的な行為だと思います。 山口さんの指摘通り、アーカイブは管理された公式記録ですが、僕が上げた例も、その域を超えないと思います。カルロスカルパのような後人達が価値を見出したものだけが恣意的に残っている例を上げたに過ぎないと思います。本間さんが言うように歴史とはそういう人為的なものだと思います。
アヴァンティップの人達も自然と文化の対立からは完全に逃れられてないようにも感じます。確かに最小限の痕跡しか残してないように人間は考察してても、自然からしたら、一歩人が立ち入るだけで生態系が変わってしまうというような話を熊野古道のくだりで聞いた事があります。 要するに人が入る事自体が人為的な行為であるかもしれません。
山口さんの「アーカイブとは墓や記念碑のようなもの」というのは名言だと思います。確かに実用性は伴わないですね。だから必要とされてないのかもしれないですね。自然の摂理とは全く関係のない人工的な側面も強いと思います。だけど、それって町に必要だ!!みたいなある種ナイーブな話をしているのかもしれないですね(笑)。

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# by machinamiproject | 2014-11-30 01:11 | Seek machinami


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