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Seek machinami03-1 『自立的建築を目指して』についての感想

山口さんの発表の後、参加者の皆様や山口さんとの間で、様々な議論、意見の交換が行われました。そうした中から、参加してくださった方のひとりである、米田量さんのご感想を掲載させていただきます。

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感想 


山口さんの発表に対し相当な量のフィードバックがありましたが、それぞれにこのような応答ができるということ自体、山口さんがフィードバックループを自身のものとしていて、ループをめぐらせる感覚をすでに持っているということではないかなとも思いました。
個人的にはループをめぐらせるために必要なのは、既知の思考よりもむしろ本能的なもの、直観的なものをなぞっていく感覚のほうなのではと思います。
自分のフィードバックループがまわっていくために環境をつくりだし調整することが必要となる。そのために自立性が重要になると考えます。自立性の意義は環境を様々な水準で調整する力、裁量の増大にあると思います。
フィードバックループ自体は、自律的であり,他人や自意識の都合で変えることができないと考えています。そして自意識よりも実のところはフィードバックループこそが主体であるのではと思っています。
あと1点だけ僕の意見として紹介されていたことの訂正ですが、僕は多様性を「生かす」ためには自立性が必要だと述べました。自立性がないと、様々な水準での環境調整する力が奪われます。フィードバックループのために必要なものを整える能力は自立性によって担保されます。すでに持っているものだけでループがまわせるのなら全然それでいいのだけど、フィードバックループの要求は結構大きくて、その要求を妥協なく必要な分だけ満たしてあげないとまわってくれません。そしてループは一回めぐると違うことを要求しだします。ループの要求する独自の要素、環境をつくりだすために、多様性が必要なのであり,その多様性へのアクセスやそこから必要なものを引き出すときに,自分の環境調整能力が重要になってきます。あらゆることに対する自立が必要なのではありません。必要なところだけでいいのだと思います。どんなときも「自立」がいいというのは、他律的な概念の支配を受けて他律的になっているということですよね。

米田量
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by machinamiproject | 2016-07-12 13:51 | Seek machinami | Comments(0)

Seek machinami03-1 『自立的建築を目指して〜本町エスコーラの活動〜』テキスト

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2015年12月6日に開催された seek machinami 勉強会、『自立的建築を目指して〜本町エスコーラの活動〜』のテキストを公開します。

参加してくださった皆様だけでなく、多くの方々に広く読んでいただきたい、示唆に富むテキストだと思います。

本町エスコーラのホームページ




自立的建築を目指して

〜本町エスコーラの活動〜

山口純

 建築におけるDIY(Do It Yourself)リノベーションによる注目が集まっています。これがただの流行として消費されてしまうとしたらとても残念なことだと思います。なぜならDIYリノベーションには、ある可能性があると思っているからです。それは居住者自らがその価値観に基づいて作り出していく建築のあり方としての可能性であり、人やコミュニティの自立を助ける建築のあり方の一つとしての可能性です。そのような建築を「自立的建築」と呼んでみることにします。

■ 本町エスコーラ

 本勉強会では自立的建築の理論と実践について議論したいと思います。実践として取り上げるのは、私が携わっている長屋の改修・運営プロジェクトの「本町エスコーラ」です。本町エスコーラは「自立的コミュニティ」、「自立的建築」、「自立的インフラ」を3つのコンセプトとして、空家となっていた8軒の長屋を住居、アトリエ、オフィス、ギャラリー、コミュニティスペースとして改修・運営するものです。このプロジェクトの発起人でリーダーでもあるのが、佐々木です。彼は少年院で働くかたわらブラジル音楽の音楽家として活動してきました。音楽を通じた居場所作りや、音楽を通じた人のつながりの回復といったことに関心をもっていた。彼は活動の拠点を作ろうとしていたのですが、そのころ私はたまたま彼と合いました。大見新村プロジェクトといって左京区の北の一度廃村になった村の再生の活動に関わっていて、そこで鹿の皮を鞣すワークショプを開催した。そのときケータリングを頼んだカレー屋の石井さんに誰か音楽をする人もつれてきてよと頼んで、来たのが佐々木さんたちのグループだった。その後彼が見つけた拠点の候補地が私の家の近所だったこともあり、このプロジェクトに加わることになりました。それで先ほど話したコンセプトなどが生まれ、今年のはじめから工事をして春から入居を開始して現在にいたります。全部ではないですが居住者のDIYでリノベーションしています。この活動の背景にある理論について述べた上で、再度エスコーラのことを考えます。

■ 「家畜化」のための建築

 私たちのこれまでの勉強会で、人間の「家畜化」の問題がひとつの焦点になってきました。人々がますますコントロールされ、支配され、管理されるようになっている。深尾(2012)のように「植民地化」と言っても良いかもしれませんが、「社畜」という言葉もあるし「家畜化」で良いかと思っています。
 この「家畜化」は、他の動物の家畜化のように行動を物理的に方向付けることによってのみならず、特定の価値観の内面化を強いることによってもなされています。後者はちょっと分かりにくいかもしれませんが、支配する側の価値観を受け入れることによって自らすすんで支配されるようになることです。社会学者のブルデューの概念で「象徴暴力」による「象徴支配」と呼ばれるものだと思っています。「社畜」とか「やりがい搾取」いうのはまさにそれではないでしょうか。ある種の労働者は、資本家に都合の良いような労働者の理想像を受け入れることで、自らすすんで過労するわけです。
 物理的、そして象徴的という両面において、建築は、人間の家畜化のための手段となっている。つまり、物理的に支配しやすい環境をつくることと、どんな環境で生活するのが理想的かについての都合の良い価値観を強いることの両方です。最近「マンションポエム」が話題のようです。滑稽なほど格好付けたマンションの宣伝文句です。これも業界に都合の良い価値観を強いる「象徴暴力」です。
 建築が「家畜化」の手段となっていることには歴史的な経緯があります。山本理顕が言うように近現代の「住宅」は19世紀以降の産業革命の進展に伴って登場した労働者住宅に端を発しています。それ以前は「居住専用住宅などなかった」のであり、住居は仕事場を兼ねていました。そして住居のなかの仕事場は公共空間と私的空間の間にある「閾」の空間でした。閾が人々を結びつけ自立的なコミュニティの成立を可能にしてきました。しかし産業革命によって工場労働者を大量に確保する必要が生じます。労働者住宅は労働力を標準化・均一化し再生産するための手段でした。そこで労働力は家族ごとに分離されて管理されることになります(山本 2015)。私たちにとって分かりやすいのは「団地」や「マンション」です。私的空間と公的空間は鉄の扉で区切られています。山本が「閾」と呼ぶような中間領域は存在しません。現在、京都では多くの町家が壊されてマンションに置き換えられて行っていますが、町家もまた「ミセ」という閾の空間を持っていました。こうして建築は人々のコミュニティを分断し自立性を奪いコントロールするために機能するようになった。

■ 自立


 人間の「家畜化」を問題にしているのは、それが人の「自立」に反するからです。自立とは自分の価値観に準じて生きることです。「当事者研究」についての論考において河野哲也はこう言っています。

 「ここで強調すべき自立とは、単に一人で生活に十分な収入を得るということでもなければ、あるいは、身の回りのことを人の助けを借りずにやれるということでもない。自立とは、何でも一人でできるとうことではない。野性的自然の中で孤独に生活を送るならば、どのような強者でも恐ろしい窮乏生活を余儀なくされるだろう。むしろ、ここで私たちが求めている自立とは、『自分の価値判断に準じて生きられる』ということに他ならない。」

 自分の価値観に準じて生きていれば、人は学習することができます(「探求」と言ってもいいけれど大げさなので「学習」にします)。つまり、自分の価値観に基づく行動の結果からのフィードバックループを通じて、自らの価値観や認識を成熟させていくことができます。こうした循環によって自立がもたらされる。一方で、他律とは他者の価値観に準じて生きることであり、この場合、自分の価値観を成熟させていくことはできません。フィードバックが欠落している。価値観を押しつけることによって支配することが象徴支配ですが、それは学習を停止させるものでもある。
 「自分の価値観」といっても社会や環境との関わりのなかで形成されるものであり、何かのヴェールを取り除くことで自己の本質として見いだされるものではないでしょう。それは常に学習の循環を通じた変化の途上にある。私の倫理観では、学習の循環というのがもっとも大切なのであり、功利主義的な観点から人々に快適な環境を提供することが学習の循環を断ち切ってしまうのなら、それは本末転倒なのです。

■ 自立と多様性

 自立というのは周りの環境と無関係に成立するということではありません。環境と自分の関係をみないといけません。すると自分が自立的であるためには、多様なものに依存することが必要だということがわかります。依存できるものが少ないと、自立が難しいのです。たとえば原発の電気を使うのが嫌でも、使わないことが難しい状況というのは、依存できるものの少なさによる他律ということです。自分のまわりの環境とは、社会的な観点からはコミュニティであるし、フィジカルには建築やインフラだったりします。
 コミュニティや建築は個人の自立をたすけることもできれば、じゃますることもできます。個人の自立をたすけるのは自立的コミュニティであり、個人やコミュニティの自立をたすけるのは、自立的建築や自立的インフラです。

■ 自立的コミュニティ 

 自立的コミュニティとは、自らの価値観に準じて活動するコミュニティです。そこでは「対話」によってその価値観が学習の過程にあります。それは専門家に何が問題かを教えてもらうのではなく、あるいは行政に問題の解決を任せるのではなく、自分たちで感じて考えて動ける、そういうコミュニティです。他律的なコミュニティは他律的な個人を生みます。これは今日の政治の状況における大きな問題なのです。民主主義の前提となるのは自立的な個人ですが自立的な個人は自立的な共同体を前提とします(宮台 2012)。象徴支配によって他律的になった個人は政治に無関心です。政治は政治家に任せて、問題があれば文句を言うだけです。

■ 自立的インフラ

 自立的インフラとは、資源の部分的な自給のことです。集中的にコントロールされたインフラから独立した、分散的インフラです。部分的な自給というのは、依存先を多様化することです。これはジェイコブズの言う「輸入置換」をコミュニティのレベルで行うものだと言うことができるかもしれません。ジェイコブズは都市のレベルでの発展や衰退の理由を分析し、時代の変化によって単一の産業に依拠した都市は衰退するのに対して、多様な産業を持つ都市は継続的に発展すると考えた。そこで重要になるのが輸入置換であり、これはそれまで輸入に頼っていた物を自分たちで生産するようになることです。輸入置換を通して産業が多様化し、金が都市の内部で回るようになる。同じように、コミュニティの外部から入手している物をコミュニティの内部で自給できるようにすることで、コミュニティの能力が多様化し、より自立的になる。またそれは人々が小さな仕事を複数つくってその人の自立性を高めることにもつながるかもしれません。

■ 自立的建築

 今回の主題は自立的建築です。どのような建築が、個人やコミュニティの自立を助けるのか、山本のように空間構成の面から論じることもできるでしょう。空間構成の面で興味深いのは、近年のコミュニティを意識した建築において、セミパブリックな空間にキッチンが置かれることが多いことです。山本が述べる古代ギリシャの住宅において、台所は建物の一番奥にあって、そこでは奴隷が働いていました。
 しかし今回はむしろプロセスの面から見て行きたい。自立的建築とは、自たちの住環境を自分たちの価値観に従って自分たちで作って行くことだと言うことができるでしょう。
 イギリスの建築家でジョン・ターナーという人がいます。ターナーは1950〜60年代のラテンアメリカにおける調査研究を通して、当時優勢であった都市計画においてはスラムとして否定的に捉えられていたインフォーマルな住居に積極的な価値を見いだしました。ターナーはスラムクリアランスの後に建てられる公共住宅のように行政が中心となって計画・建設・管理する「他律的住居システム」と、インフォーマルな居住地のように利用者が中心となって計画、建設、管理を行う「自立的住居システム」を対比します(図1)。そして利用者の満足だけではなく経済的な持続可能性からも後者に優位性があり、公共セクター(public sector)の主な役割は資源の公平な分配に置くべきだと主張したのです(Turner 1976)。

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図1自立的住居システムと他律的住居システム
(出典:John F. C. Turner: Housing by People, Marion Boyars, 1976)

 ターナーが自律的住居システムの優位を主張する論拠となったのは、サイバネティックスの理論家アッシュビーの「必要多様性(requisite variety)」の原理のためである。つまり、システムが安定するためにはコントロールするシステムの多様性はコントロールされるシステムの多様性より大きい必要がある。したがって住居環境をコントロールする組織の多様性は住居環境の多様性より大きい必要があるのである。ラテンアメリカの事例をもとに展開されたターナーの理論が現代日本においても妥当性を持ちうると考えるのは、それがこうした一般的理論に基づいているからです。

■ 再配分、交換、互酬 


 ターナーによる公共セクター、民間セクター、民衆セクターの区分は、行政、市場、コミュニティと言い換えることもできます。それぞれを特徴付けるのは、ポランニーの言う「再配分」、「交換」、「互酬」という3つの経済的パターンです。
 互酬というのはコミュニティの中での相互扶助です。昔の村で屋根の葺き替えをみんなでやるようなやつです。市場における交換は分かりやすいと思います。現代日本では屋根の葺き替え作業は業者に頼むことが多い。市場における交換です。国家は税金を取って公共事業や社会福祉に還元します。そういうのが再配分です。行政が屋根を葺き替えてくれるということはあまり無いかもしれません。しかし水道や道路といったインフラは行政がやってくれる。
 ターナーの活躍した時代の後の新自由主義的傾向とグローバル経済の拡大を経て、今日むしろ問題となるのは民間セクター(private sector)による都市の資本主義的な再開発です。「マルクスが言うように、資本主義は剰余価値(利潤)の永続的追求にもとづいている。しかし剰余価値を生み出すためには、資本家は剰余生産物を生産しなければならない。このことが意味するのは、資本主義は、都市空間の形成に必要とされる剰余生産物を永続的に生産するということである。逆の関係もあてはまる。資本主義は、それが永続的に生み出す剰余生産物を吸収するような都市空間の形成を必要とするということである」(ハーヴェイ 2013)。住居や都市は民間セクターによって資本の拡大のための手段として計画・建設されることになる。このことはしばしば、民衆セクター(popular sector)つまり利用者にとっての住居や都市の使用価値を損なうだけでなく、依存先の多様性を減らし、自立を困難にする。
 イリイチ(1990)は人間の自立と道具の関係を探求した思想家ですが、彼の次の指摘は都市環境について良く当てはまります。「経済の発展=開発はまた、商品なしに暮らすことを可能にしていた諸条件が物理的・社会的・文化的環境から消え去ったがゆえに、まもなく人々が商品を買わざるをえなくなるということをも意味している」。たとえば都市が自動車の利用を前提としたものに作り替えられることによって、自動車なしで生活することが難しくなります。
 今日、行政主導あるいは民間資本主導のまちづくりの両方の弊害が認識され、コミュニティ主導によるまちづくりの重要性が説かれていると思います。こうした背景において、民衆セクターのコントロールに重きを置く自立的住居システムの理論は、依然として妥当性を持つと考えます。私はDIYをこの文脈で理解しようと思っている。DIYは民衆セクターが建築を建築家などの専門家から取り戻す手段になりうる。
 しかし、コミュニティ主導によるまちづくりが、単に地域住民の参加によるまちづくりという意味に捉えられ、「専門家」のコントロールの下で行われるのなら、むしろそれは「家畜化」を押し進めることになる。DIYによる建築のリノベーションもまた、ワークショップとしてパッケージ化され、産業化され、建築家などの専門家にコントロールされるならば同じではないだろうか。イリイチは80年代に「サーヴィスのエキスパートたちが人々の『面倒を見ている』あらゆる領域で、これらの専門家たちは、素人、言い換えると客を自分たちの監視のもとに無報酬で働く助手として引き入れようと躍起になっている」と批判しました。そのようなことにならないようにしたい。
 コミュニティを、市場や行政からは独立した価値観の源泉としてみなすことで、コミュニティが市場や行政の価値観の下に組み込まれることに抗う必要があると考えます。このことはしかし、単に市場の拡張や行政の管理に抗うということではありません。おそらく止めようのない流れがある。楽観的な見方なのかもしれないけれど、3つのセクターがそれぞれに還元不可能なそれぞれの価値観の中でより良いシステムを組織化し、相互の対立をコントラストに変えて行くことは、それぞれにとって好ましくさえあるのではないか。このコントラストの中では、中間色があるだろう。たとえば、市場とコミュニティの中間的な存在である、ローカルビジネス(互酬的な色合いの強い商売)や「小商い」のようなもの。

■ ふたたびエスコーラについて

・自立的コミュニティ
 エスコーラでは運営会議を毎月開いていて、入居者の話し合いで運営しています。また、「ドマ」と名前を付けたコミュニティスペースがあります。だれかいるかなとおもって立ち寄るようなそういう居場所になっている。たまたまそこで食事していたのに加わるようなことがよくあります。自立的コミュニティということについて言えば、運営会議のようなフォーマルな場より、インフォーマルな場のほうが重要なのかもしれません。「ドマ」にはキッチンのほかに本棚があって、これは他の人に読んでほしい本を置く場所です。そのひとがどんなことに関心をもっていて、どんなことを考えているのか、普段の会話ではなかなか出てきにくいものがでてくるきっかけになると良い。
 エスコーラでは、フリマやご飯会などのイベントや、モノづくりなどのワークショップも行っています。最近では好きな音楽について語る会のようなものもあります。自立ということが自分の価値観に準じて生きることであるとしたら、「これいいんじゃない?」と思ったことをすぐに試してみることができる環境が大事です。いいとは思っていてもなかなかきっかけがなくてできないままでいることが多い。はじめの一歩をふみだすことを助ける場所になったらと思っている。
・自立的インフラ
 はじめは電気と水を部分的に自給しようというつもりでしたが、まだ実現していません。電気についてはいろいろ計画中です。今、実現したのは「水耕栽培」です。エスコーラには大きな広場があって畑にしたかったのですが、この場所には工場があったために鉛で汚染されているらしいので、水耕栽培です。採れる野菜の量としてはたいしたことないのですが、依存先の多様化にはなっている。「輸入置換」として「フルムーン食堂」があります。レストランをコミュニティに内部で済ますものです。入居者の大工さんが料理好きで、だいたい毎日、昼と夜、ご飯をつくっています。
・自立的建築 
 ドマにしいたレンガなどはワークショップで施工しました。他に室内の塗装などは自分たちでやっている。構造など主要な部分は大工が施工したのですが、それもそれぞれの大工が自分の裁量で作って行く感じだったそうです。作るということが設計図に書かれた命令の実行でしかないとしたら、それは人間の自立とは全く関係ない。しかし、作ることが作る人の価値観に準じたものであれば、それは人間の自立をうながす。そのためには、作るひとが自分の裁量で作っていく必要がある。部分を作る人が自己裁量でやっても全体として成立するためのデザインを、デザイナーは考えないといけない。
 自立的建築は作って終わりというのではなく、常に変化の途上にある。利用者が関われることが大事です。そのためにはある程度「雑」に仕上がっているほうがいい。あまり奇麗に仕上げると素人は手出ししづらい。エスコーラの建物は80年前の木造ですが、すでに何度も改装を繰り返してきたようで、内部の間取りなどとても変です。仕上げだけでなく空間構成もきっちりしすぎていなく変更しやすい。


プロフィール: 山口純 (やまぐち じゅん)
1983年、川崎生まれ。2007年、京都大学工学部建築学科卒業。2009年、京都大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了。2014年、同博士課程修了(博士論文:C. S. パースの探究の理論に基づく設計プロセスのモデルの構築)。博士(工学)。専門は建築設計方法論。立命館大学専門研究員。本町エスコーラ・ディレクター。大見新村プロジェクトかり部・部長。狩猟免許所持(わな猟)。趣味は革鞣し、靴づくり、ビンテージ自転車の修理。
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by machinamiproject | 2016-07-03 13:14 | Seek machinami | Comments(0)


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