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Seekmachinami01-2の報告(第2部)

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Seek machinami01-2 「自分の住まいを考える」第2部


第2部の記録
第1部で、参加者の個人的な「住まいと自分の記憶」についてそれぞれに伺った。 →第1部の記録
そこで第2部では日本の戦前から現在までの住宅供給や都市計画の歴史の年表に沿って、少し偏って入るけれど、どのような流れの中に自分たちは育ってきたのかを探る。
年表(日本編)


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江戸時代(1603~1867)
17世紀以降、日本での住宅のあり方が多様化。
(曲がり家、ハッポウ造、合掌造など)江戸後期には瓦屋根が普及

1830:水戸藩、藩政改革を始める
1850:佐賀藩で日本初の反射炉(金属融解炉)が建設される。工業化の第一歩。
1853:ペリー来航
1860:ジョサイア・コンドル、日本人建築家の育成を開始 政府による官庁集中計画、目指すべきはドイツ
1864:京都・池田屋事件
1866:薩長同盟

武家住宅=封建住宅、オモテとウラのある家。

明治(1868~1912)
建築に対する封建的な規制がなくなる/明治宮殿建設等の大規模工事による職人の交流により、
技術が全体として向上する/近代化=西洋化の傾向。


1874:古墳発見の節届出方
1880:古社寺保存金制度
1883:鹿鳴館(ジョサイア・コンドル)
1888:東京市区改正条例、道路拡幅、上水道の整備  (その後、横浜、名古屋、大阪、神戸、京都へ準用)
1896:日本銀行(辰野金吾) 東京建物、不動産融資を開始(返済期間は5~15年以内)
1892:桜井小太郎、日本初の英国公認建築士に
1897:古社寺保存法
1900:廃仏毀釈で大きな打撃を受けた寺院建築の保護が課題となる
1904:京都府庁舎完成(松室重光)
1907:阪急電鉄、安く仕入れた土地に鉄道をしき地下を上昇させて
住宅地として分譲する事業を開始

大正(1912~1926)
主婦の友社「生活改善運動」=洋風化、プライバシー意識。庶民化には
至らず


1913:旧有島武郎邸(自身の設計による)
1914:東京駅
第1次世界大戦 開戦
1916:白茅会発足民家が研究対象となる(柳田國男・今和次郎・大熊喜邦など)
1917:ソビエト連邦が誕生
1919:市街地建築物法(建築基準法の前身)、美観地区の創設
1920:分離派建築会(建築の芸術性を重んじる活動)
    戦後恐慌
1922:帝国ホテル(F.L.ライト) 平和記念東京博覧会で「文化住宅」の紹介、普及の第一歩に
1923:関東大震災  帝都復興案(後藤新平)⇒現在の東京の骨格となるが、
道路建設による従来のコミュニティの結束を大部分を破壊したことが問題か
     田園調布開発(渋沢栄一ら)
1924:旧山邑家住宅

昭和(1926~1989)
第二次世界大戦による極度の住宅不足
職住分離がすすむ
木軸在来工法の普及に伴う職人の技術力低下問題


1926:同潤会青山アパート
1930代:新中間層の誕生(⇔旧中間層)
1933:朝香宮邸
1941:第2次世界大戦 真珠湾攻撃

1945:終戦。極度の住宅不足。

1946~49 第1次ベビーブーム
1948:住友林業 設立

50年代…ニュータウンのはじまり 高度経済成長/ドーナツ化現象

1950:住宅金融公庫設立
     朝鮮戦争特需
     文化財保護法
     建築基準法(建物建設時の最低基準を設定)
1951:公団住宅 51C型(=食寝分離)
1953:トキワ荘に手塚治虫が入居(シェアハウスみたいなもの?) 入居審査があったらしい…
1954:高度経済成長期に突入 石炭から石油へ、工業化、所得倍増計画、円安
1955:日本住宅公団
1956:初の公団・金岡団地
1958:阿佐ヶ谷住宅(テーマ:コモンスペース)
1959:大和ハウス(「すぐ建てられる住宅」をという思いから設立される)
   メートル法導入、尺モジュールとの共存へ

60年代…高度経済成長期
都市の過密と地方の過疎/土道の激減/主要高速道路の開通=モータリゼーション
1960年代 新中間層の確立 サラリーマン人口の増加
1960:京都会館/積水ハウス設立
     東京オリンピック
1963:古都保存法(鎌倉・京都・奈良)
1966:歴史的風土保存地区の制度化
     文化庁全国民家緊急調査開始(77年まで)
      民家調査手引書『民家のみかたしらべかた』文化庁監修が出版
     住宅建設法制定
   多摩ニュータウン着手
1968:都市計画法成立
1969:代官山ヒルサイドテラス
     洛西ニュータウン着手

1970年代…
スーパーマーケットの普及/ゆとりの生活を重んじる傾向が出現
個人向けローンを扱う住宅金融専門会社(住専)の設立


1970:大阪万博
   『消え行く日本の民家』創刊
1971~74 第2次ベビーブーム

1972:田中角栄『日本列島改造論』
     → 政策要綱
       工業の再配置と交通・情報通信の全国ネットワーク形成により、
       人とカネとものの流れを都市から地方へ逆流させる地方分散の推進 (by Wilipedia)
     ヘーベルハウス/ALC開発
1973:オイルショック(第四次中東戦争による)
1975:伝統的建造物保存地区
1976:日本初の重要伝統的建造物群保存地区(妻籠)
1979:住吉の長屋
     芦原義信「街並みの美学」発行

1980年代…
いじめの問題化始まる/少子化深刻に/コンビニの普及


1980:第2次石油危機 国鉄再建法
1986:バブルの始まり。

平成(1989~)

1989:消費税3%導入
     ふるさと創生事業
     政令指定都市制度創設
1991:東京都庁
     バブル崩壊
1995:阪神・淡路大震災
     地下鉄・サリン事件
1996:登録文化財法
1997:京都駅/消費税5%
     京都議定書の採択
1998:都市計画法改正(地方自治への方向転換)

2000年代 
格差社会の時代へ/インターネットの一般化/フローからストックへ

2000:せんだいメディアテーク
     品確法
     国立マンション訴訟
2001:アメリカ同時多発テロ
     小泉内閣
2003:都市計画提案制度(NPOなど市民に開かれた制度へ)
2004:金沢21世紀美術館
フラット35開始
2004:景観法
2006:表参道ヒルズ
2006:重要文化的景観(文科省)「近江八幡の水郷」第1号
2007:楳図かずお邸竣工、近隣問題に(東京地裁は訴えを却下している)
     サブプライムローンのあおり、リーマンショック
2008:派遣切りが問題に
2011:東日本大震災
2014:消費税8パーセントに

「家を買うというスタイル」

「家は買うもの」という形式が、当たり前のような感じだけれど、年表で振り返ってみると、1907年の阪急電鉄による鉄道敷設とセットになった郊外住宅の販売や、ハウスメーカーの林立、住宅ローンの創設、政府による持ち家政策と、そのスタイルが普及するための外的な要因があり、それはすごく昔の話ではなくて、自分たちの親より少し上くらいの世代で起きたことである、ということが改めて見えた。
35年ローンを定年までに完済するためには、30代で建てる・建てないの選択をすることになる。
30代で終の棲家を決めることができるか?
就職活動や、受験や、いろいろな局面で指摘されていることだけれど、日本ではある大きな流れに乗れないとき、別ルートが極端に少ない、もしくは条件が圧倒的に不利になることが多い。
ここで、シェアハウスという形態が、新しい道となるのか?

「都市と民家」

戦前から研究されてはいたが、1950年代になり民家の調査・研究が本格化していく。
高度経済成長のなか、急激に進む都市化のなかで民家をどう取り扱っていくかが問題となる。
1966年、文化庁全国民家緊急調査が開始され、翌年1967年、「民家の見方・調べ方」が出版され手引書となることで、全国で民家調査がある程度マニュアル化でき、調査が進むようになる。このころ、多摩ニュータウンを始め、全国でニュータウン工事が相次いで着工し、その流れのなかで民家が失われていく前にと緊急調査が組まれた。
ここで、「民家の定義とは?」という話題に。民家と農業との関係。
個人の感想になってしまうけれど、現代において、都市の住宅と、そうでない住宅は、1966年の調査のときよりももっと、住んでいる人の職業では分類できなくなっている。これは、ニュータウン以降顕著な傾向だと思う。ここにも、ヒントがある気がしている。

「シェアハウス、その後」

いま、シェアハウスがブーム化している。ドラマにまでなり、本が出たり、雑誌で特集されたりして注目されている。実際、参加者のなかにもシェアハウス住人はいる。
第1部でも話題に上ったけれど、「シェアハウスをすることで生活に対するコストが下げられ、その余剰部分を自分の好きな活動にあてることができる」という話が出た。
それから、シェアハウスがつながりを求める単身者の集まりではなく、家族を含む集団となることができるか?という議論。子供にとって親以外の大人の存在は、現代では貴重で、それを自然に提供できるのがシェアハウスなんじゃないか、という意見が出た。
シェアハウス暮らしを経てきた人が家族を持ち、自分の住まいを考えるとき、今までにない住まい観が生まれるのかどうか、すごく興味がある。

「資産としての住まい」

ヨーロッパなどでは、何世代か前の誰かが住宅を購入していれば、そこに住みながら少しずつ直すだけで、暮らしていく場所が確保できる。日本のように、不動産価値がどんどん下がっていくこともあまりない。
日本では、たとえば木造住宅だと不動産としての資産価値が、建てたときが一番高く、あとは下がっていくだけ、というのが一般的な流れ。一生かけてローンを支払っても、払い
終わるころには価値がなくなっているという矛盾。
京都はもともと、貸し家ビジネスが発達したところだった。地主が、借家を建て、地域の開発をしていた。それが現在の地域全体のデザインにつながっている。

「多様性」

今の社会の中には住宅や機能の細かな差異が無いものであふれているけれど、もしかして、自分たちは大量に生産された環境の中に居るだけで、実はその中に納まりきらない存在なのではないか。
会社である型にはまると喜ばれる。深い事を考えずに要求される型にはまるフリをする。
なぜ、それに対して何の異議も主張しないのか?→ めんどくさい、わずらわしい。 ?
なんでめんどくさいのか?
1953年に、「暮らしの手帖」編集長である花森安治が書いた「暮らしの眼鏡」からの引用。
戦争中は政府のやることをみな一生けんめいに信じ、終戦後それがみなウソだと知らされて、ああそうかすみませんでしたと、またそれを信じていたのに、講和発効後は、それもまたウソだと言われたのでは、たぶん今そういうのも、またウソだろう、これでは一体何を信じればいいのかわからぬ、スナワチ今や僕らは何も信じるものなどなくなったのである。(中略)ああアーメンもイヤ、南無もイヤ、柏手もイヤ、ソ連もアメリカもイヤ、何と太鼓叩かれようとラッパ吹かれようと、ソレガドウシタ。僕らは大の字に寝そべってしまいたいのである。もっとも、寝そべっていては、飯が食えぬから、ノコノコ起きて、都合のよさそうな方へお経を聴きに行く、何も信じはしないのである。信じない者が、食うために信じる顔をするのは、信じない顔するよりも、はるかにつらい。
っていう気分が、実は60年たったいまも続いているんじゃないのかな。と思った。→ 時間がない。お金がない。余裕がない。
というのはちょっと短絡的で、実際は、「そんなことよりもほかのことに時間もお金も使いたい」というところじゃないかと思う。それがなんであるかは、人によると思うが。
なんで余裕がないのか?→ きっと、余裕が無いような感じになっているから。なんでだろう。
絶望の国の幸福な若者たち、の話につながるけれど、「自分が幸福だ、ということにする」ことがうまいのが日本人なんじゃないのか。「いろいろあるけど、おいしいコーヒーが飲めた」とか。余裕がないことなんて、忘れようとおもえばいくらでも忘れることができる。

書籍等覚書

「絶望の国の幸福な若者達」 古市憲寿

石黒忠篤 1884-1960日本の農林官僚、政治家


以上、うまくまとめられていないけれど、日本社会の歴史をざっと振り返りながら、
第1部での参加者の体験を反芻する。
とても個人的な体験だと思っていたけれど、案外社会全体の流れの中の一部であることを確認した。

日本社会の方向が大きく変わったのは江戸から明治の時。
それまでの封建社会は無くなり近代へ

また次の大きな転機は第二次世界大戦の敗戦
戦後日本の高度経済成長期による都市の作られ方はめまぐるしいスピードに乗るけれど、
その時日本が向かおうとした社会像とその後の変遷を調べたい。
この都市開発の過程で新しく作られた価値観、それと同時に失われた生活文化についてもう少し順を追って
振り返ってみたい。

そこで次回のテーマを考え始める。

現代型の核家族用の建物が大量に作られる前の、それまであった住まいと、
なぜそれが取って変わられていったのか、そのあたりをさらに丁寧に掘り下げてみよう。

「都市と民家」 

民家ってなんだろう。町家とは違うのだろうか。
建物から周辺環境、産業へと議題を拡げ、
1960年代に全国緊急民家調査がなされた事と、
その後現代社会での地方における過疎化と都市の過密化という結果を
再考しましょう。

ということで、次回は民家から見る住まいと産業・生活をめぐる勉強会を予定します!




何か関連しそうな著書、論文、具体的な事例などがあればゆっくりと集めていきたいので
どうぞ皆様よろしくおねがいします。
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by machinamiproject | 2013-03-25 01:00 | Seek machinami | Comments(0)

Seekmachinami01-2の報告

Seek machinami01-2 「自分の住まいを考える」のレポート


無事、多数御参加いただいて議論できました。
以下レポート第1部編です。

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自分が育ってきた住まいや原風景について、参加者の方々に語っていただいた。
原体験や幼い頃記憶はひとそれぞれで、個人的なものだけれど、それを収める住まいや近所の風景、
そして家族の暮らしのあり方は、もしかすると、そのころの時代背景に影響を受けていたかもしれない。
そこで、十九世紀から現代にいたる、日本の社会の動静、都市計画、集合住宅、住宅の変遷をたどる
年表を作成し、それをひとつの手掛かりとしながら、参加者の個人的な体験を伺った。
同時に、前回フランスの歴史的環境についての歴史を扱った流れから、
フランスとイタリアについての同様の年表も用意し、参考資料とした。

日本人は、その均質性を特徴に挙げられることが多い。
でも、今回参加していただいた方々のエピソードを、ひとつひとつお聞きしていくと、
ひとの原風景が、本当に「ひとそれぞれ」だというシンプルなことが、新鮮に浮かび上がってくる。


参加者の方々のエピソード

佐藤さん
親が転勤族だったので、2、3年で、常に違う場所に引っ越しすることになり、幼馴染をつくるのが難しかった。ある程度したら途切れたりも多かったので自分のふるさとに執着ができなくて、距離感を感じる時があった。
そういう背景から、団地に暮らしてした時間が長い。小さい頃は、個室のないスペースに姉と妹と三人で過ごすことが多かった。姉弟間の距離がとても近くて、寂しくはないが、状況で物音をたてないようにしたり、時間をずらしたり気を使っていた時も多かったので、ずっと個室が欲しかった。そういうことがあってか地に足のついた生活に、憧れがあり一軒家に、思い入れがある。


天江さん
親の勤めの影響で、韓国に生まれて以来、シリア、モスクワ等世界中を転々として育ってきた。ノマド的というか、いつでも仮住まいというか、三年住めば違う場所に移り住むといった感じで、引っ越しが当たり前、という日常だった。常に自分の家は動き、移ろっていくけれど、東京の祖父母の家だけは、変わらず、定まってそこにあり続けていた。ともかく、自分はいまでも、一軒家には、あまりリアリティがもてない。家具とか所有欲もあまり無い。

もちさん
愛知県海部郡で育った。自営業で、家にいつもだれかがいた。自営業の都合、親も休みは正月二日間くらいだけで、家族旅行で遠出することは難しかった。「実家」が軸になっている生活環境で育ったため、家族以外の接点は人並み程度だった。
就職してからある日、実家を出る決意をした。ふとした友人の一言でルームシェアが始まった。そこから色んな人とのつながり、色んな価値観に出会った。その一つがお金の使い方。シェアで生活のコストが下がった分、どこにお金を使うか。そして、自分が共感できるものへと、お金を使うようになった。その後、一軒家を借りたシェアハウスで、今まで以上に多くの人に出会うようになった。
(結婚して家を持ってもシェアハウスをするかと問われ)すると思う。親族以外で、自然体の大人に出会えない。いつも「いい大人」を演じる姿を子供が見ることで、「大人」のハードルが高くなる。それ以上に、日常の中で多様な価値観に出会える機会をたくさん提供したい。
「住む場所」だけでなく、「住み方」も選択できるこの時代。必ずしも「家には家族しか同じ家に住まない」固定概念に、必ずしも従わなくてもいいのではないでしょうか?

小林さん
家は代々、江戸の畳屋を営んでいたが、祖父がサラリーマンにあこがれ、その道に進み、今は分家が畳屋を継いでいる。幼い頃は渋谷の社宅に住んでいたが、やがて都内に一戸建を購入し、住むようになる。その家には、リビングが存在せず、食事はキッチンダイニングで行っていた。というのはオーディオマニアの父がリビングをオーディオルームに改造したからで、そこにはオーディオマニアの友達が集い、そのたび家族は、音を立てないよう配慮して生活をしていた。
学校は地元ではなく、違う地域(市ヶ谷)にある私学に通っていたので、友達の住んでいる地域は埼玉など広範囲に渡り、逆に地元との繋がりは希薄になりがちであった。現在の職場も、市ヶ谷にあるので、人生の半分近くをそこで過ごしていることになり、地元ではないけれど、愛着をかんじている。

本間さん
東京の郊外である町田市育ちで、小学校三年まで都営の団地に暮らしていた。白い豆腐のような団地が何処までも続く光景が原風景の一つ。団地は、同世代の若い親たちが一度に入居して住民になったので、70年代の最盛期には小学校が乱立した。90年以降、転出と少子高齢化が一気に進行し、閑散としている。小学校の多くが統廃合され今でも校舎が利活用されずに放置されている。その為、課題先進地域としていち早く団地周りの外構が整備されバリアフリー化した。駅から離れている為に車社会で不便だが、緑も多く住環境は良い。現在では、全体的には過疎化が進むが、団地で育った子供が大人になって新しく家庭を持ってUターンする現象も起きている(団地という故郷?)

百鳥さん
京都府北部の丹後、伊根郡の近くの田舎、海と山の間に育った。父親は大工で、兄も大工、そして自分もいま、大工をしている。父親は自分の手で、家を建て増ししていた。京都市に十年前に十八歳のとき移ってきたが、いろんな家の採光がまったくなっていないのに、愕然とした。良好な採光や通風環境を求めて十年間で5回引越しをした。仕事の事でおもうのだが、建築において、設計施工の分業はおかしい。少なくとも住宅に関しては、設計施工すべて一貫してやって、責任逃れできないようにやるべきだ。家づくりはもっとシンプルで良いのではないか??

磯久さん
京都市のニュータウンで育った。そこには町内会はなかったけれど、団地の隣近所の部屋の人たちとは仲がよく、鍵を忘れて帰ってきたときは、隣の家に上がらせてもらったりしていた。ただ、小学校から私学に通っていたので、地元の学校には行かず、地域の地元の友達との結びつきは、年が上がるにつれ希薄になっていった。

細尾さん
京都市の西陣地区に育った。職住が混合して密集しながら、古い時代の匂いもする街で、小学校の頃までは、西陣織の機を織る音が、近所のあちらこちらで聞くことができた。いまでも、まったく初めて訪れる都会の一角で、同じような雰囲気のこちゃこちゃした街に出くわすと、ものすごく、なつかしい感じがする。逆に、田舎や大自然に足を運ぶと、居心地が悪く、妙に疲れてしまう。

田和さん
京都市内までバスと電車で一時間半の田舎に住んでいた。
自分の部屋はあったけれど、なんとなくいつもリビングにいなければならないような気がしていたが、今考えるとそれは、「引きこもる」勇気も、「遊び歩く」場所もがなかったからだと思う。わたしにとって、リビングのような役割をしていたのは、高校生までは地元の図書館だったように思う。
そういえば今も、家はくつろぐ場所という意識があまりない。帰るところではあるけれど、携帯の充電みたいに、「しないといけないから」という感じ。

三木さん
山際の家で、民家を改装した家。その中の4分の1の面積に家族で日常生活を送っている。
他の場所は、日常で使わない場所。機能的には外に出るまでの通路でしかないけれど、その間に時刻にあわせて入ってくる光が変化するのを楽しんでいる。なんの用途もない余白スペースが多い家。山際だったので小さい頃から良く裏山に上って遊んでいた。親が帰宅するまで一人で外で遊んだりもしたけれど全然寂しくなかった。自分は京都の山々をみるとほっとする。

以上が参加者の個人的風景と家との思い出。



たまたまかもしれないが、この日必ずしも同じ様な環境で育った人は居合わせなかった。みんなが町だったり田舎だったり、団地だったり…と環境の異なる場所で育っていて、住まいの体験がそれぞれだった。

そこで第2部、戦前から現在まで、日本社会の住宅供給の年表を軸にしながら、一連の歴史を振り返り、今話した自分たちの現在の位置を再確認した。

第2部のレポートと年表はしばしお待ちを☆
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by machinamiproject | 2013-03-24 02:44 | Seek machinami | Comments(0)

Seek machinami 01-2

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大変 遅くなりましたが、

次回のテーマは「自分の住まいを考える」です。

初めに参加者のみなさまに個人的な住まいにまつわるお話を伺いたいと思います。
今まで育ってきた自分のまわりの環境や住まいについて少しお聞かせ下さい。
例えば 山の周囲でそだったのか、海辺なのか。
家の中の好きな場所や、何が記憶に残っていて、それは今でも意外と気にしているんだとか。

そこから派生して、第2部では原風景や景色、ふるさとなど心の中の世界と現代の日常生活とのリンクを探ってみたいと思います。
そして時代の変遷により個人をこえて、共通の変化が起こっているのだろうか。

また、 そんな内容においてのお勧めの本や見せたい写真などあればご持参下さい。
いろんな土地での住まいの記憶を楽しみにしております。

どうぞよろしくお願い致します。

場所が分らない方は
メール下さい。
kyoto.machi.project(@)gmail.com
*@マークの両「」をけして送信下さい。
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by machinamiproject | 2013-03-04 22:58 | Seek machinami | Comments(0)


町並・景観についての意見交換・勉強したものを公開します


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