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出版記念対談企画のおしらせ

Seek machinami 02-2 (2014.9月開催) でゲストスピーカーとしてお話いただいた石榑督和さんが闇市の研究をまとめられ、「戦後東京と闇市~新宿・池袋・渋谷の形成過程と都市組織」を出版されました。
それを記念して、京都で対談会を行います。
東京と、ジャカルタの研究者による対談となります。二つの都市の変遷をお話いただきながら、京都の街やこれからの街についての話にもつなげたいと思います。

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石榑督和著 「戦後東京と闇市~新宿・池袋・渋谷の形成過程と都市組織」 出版記念対談

「都市がフォーマルに変わる時」
~東京、ジャカルタそして京都~

東京では戦後復興期に闇市が発生し、土地区画整理を経て、現代の街へと発展した。しかし人々はよそよそしく、かつてあった界隈性は目に入りづらい。
 一方、アジアの中核都市となったジャカルタは戦後の植民地時代を経て、現代でもなお猥雑な街の表情を色濃く残している。その都市空間は違法状態のものが多く、衛生的な問題を抱えているものの、賑わいや活気に溢れているといえるだろう。
 東京とジャカルタ、アジアの大都市である2都市の戦後都市形成を比較した時、どちらもインフォーマルな状態から現在の都市の形となった。都市がフォーマルな状態へ変わろうとする時、どのようにその形を変えていくのか、これからの魅力的な街とはどのようなものがあり得るかを考える。

2016年9月に出版され、今話題となっている「戦後東京と闇市~新宿・池袋・渋谷の形成過程と都市組織~」の著者、石榑督和氏と総合地球環境学研究所でメガシティの研究をされている林憲吾氏をお招きし、これからの街について議論し考えます。
建築、都市、まちづくり等、様々な分野の方にお越しいただきたく思います。是非ご参加ください。

ゲスト
石榑督和(いしぐれ・まさかず)
建築史・都市史、明治大学理工学部建築学科助教。1986年岐阜県生まれ。2014年明治大学大学院理工学研究科博士後期課程修了。博士(工学)。2014‐2015年明治大学兼任講師、2015年より現職、2016年よりツバメアーキテクツ参画。

林憲吾(はやし・けんご) 
総合地球環境学研究所センター研究推進支援員
1980 年兵庫県生まれ。2009 年東京大学大学院博士課程単位取得満期退学。博士(工学)インドネシアを中心に近現代建築・都市史やメガシティ研究に従事。共著に、『メガシティとサステイナビリティ』(東大出版会、2016)、『衝突と変奏のジャスティス』(青弓社、2016)など。

会場:メディアショップ
   京都府京都市中京区河原町通三条下る大黒町44
http://www.media-shop.co.jp/

参加費:1,000円
    事前申し込みは不要です。

主催:56設計舎 共催:RAD/Seek machinami勉強会
問い合わせ先
atsu4.matsuoka@gmail.com
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by machinamiproject | 2016-12-25 23:04 | Seek machinami | Comments(0)

Seek machinami03-1 『自立的建築を目指して』についての感想

山口さんの発表の後、参加者の皆様や山口さんとの間で、様々な議論、意見の交換が行われました。そうした中から、参加してくださった方のひとりである、米田量さんのご感想を掲載させていただきます。

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感想 


山口さんの発表に対し相当な量のフィードバックがありましたが、それぞれにこのような応答ができるということ自体、山口さんがフィードバックループを自身のものとしていて、ループをめぐらせる感覚をすでに持っているということではないかなとも思いました。
個人的にはループをめぐらせるために必要なのは、既知の思考よりもむしろ本能的なもの、直観的なものをなぞっていく感覚のほうなのではと思います。
自分のフィードバックループがまわっていくために環境をつくりだし調整することが必要となる。そのために自立性が重要になると考えます。自立性の意義は環境を様々な水準で調整する力、裁量の増大にあると思います。
フィードバックループ自体は、自律的であり,他人や自意識の都合で変えることができないと考えています。そして自意識よりも実のところはフィードバックループこそが主体であるのではと思っています。
あと1点だけ僕の意見として紹介されていたことの訂正ですが、僕は多様性を「生かす」ためには自立性が必要だと述べました。自立性がないと、様々な水準での環境調整する力が奪われます。フィードバックループのために必要なものを整える能力は自立性によって担保されます。すでに持っているものだけでループがまわせるのなら全然それでいいのだけど、フィードバックループの要求は結構大きくて、その要求を妥協なく必要な分だけ満たしてあげないとまわってくれません。そしてループは一回めぐると違うことを要求しだします。ループの要求する独自の要素、環境をつくりだすために、多様性が必要なのであり,その多様性へのアクセスやそこから必要なものを引き出すときに,自分の環境調整能力が重要になってきます。あらゆることに対する自立が必要なのではありません。必要なところだけでいいのだと思います。どんなときも「自立」がいいというのは、他律的な概念の支配を受けて他律的になっているということですよね。

米田量
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by machinamiproject | 2016-07-12 13:51 | Seek machinami | Comments(0)

Seek machinami03-1 『自立的建築を目指して〜本町エスコーラの活動〜』テキスト

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2015年12月6日に開催された seek machinami 勉強会、『自立的建築を目指して〜本町エスコーラの活動〜』のテキストを公開します。

参加してくださった皆様だけでなく、多くの方々に広く読んでいただきたい、示唆に富むテキストだと思います。

本町エスコーラのホームページ




自立的建築を目指して

〜本町エスコーラの活動〜

山口純

 建築におけるDIY(Do It Yourself)リノベーションによる注目が集まっています。これがただの流行として消費されてしまうとしたらとても残念なことだと思います。なぜならDIYリノベーションには、ある可能性があると思っているからです。それは居住者自らがその価値観に基づいて作り出していく建築のあり方としての可能性であり、人やコミュニティの自立を助ける建築のあり方の一つとしての可能性です。そのような建築を「自立的建築」と呼んでみることにします。

■ 本町エスコーラ

 本勉強会では自立的建築の理論と実践について議論したいと思います。実践として取り上げるのは、私が携わっている長屋の改修・運営プロジェクトの「本町エスコーラ」です。本町エスコーラは「自立的コミュニティ」、「自立的建築」、「自立的インフラ」を3つのコンセプトとして、空家となっていた8軒の長屋を住居、アトリエ、オフィス、ギャラリー、コミュニティスペースとして改修・運営するものです。このプロジェクトの発起人でリーダーでもあるのが、佐々木です。彼は少年院で働くかたわらブラジル音楽の音楽家として活動してきました。音楽を通じた居場所作りや、音楽を通じた人のつながりの回復といったことに関心をもっていた。彼は活動の拠点を作ろうとしていたのですが、そのころ私はたまたま彼と合いました。大見新村プロジェクトといって左京区の北の一度廃村になった村の再生の活動に関わっていて、そこで鹿の皮を鞣すワークショプを開催した。そのときケータリングを頼んだカレー屋の石井さんに誰か音楽をする人もつれてきてよと頼んで、来たのが佐々木さんたちのグループだった。その後彼が見つけた拠点の候補地が私の家の近所だったこともあり、このプロジェクトに加わることになりました。それで先ほど話したコンセプトなどが生まれ、今年のはじめから工事をして春から入居を開始して現在にいたります。全部ではないですが居住者のDIYでリノベーションしています。この活動の背景にある理論について述べた上で、再度エスコーラのことを考えます。

■ 「家畜化」のための建築

 私たちのこれまでの勉強会で、人間の「家畜化」の問題がひとつの焦点になってきました。人々がますますコントロールされ、支配され、管理されるようになっている。深尾(2012)のように「植民地化」と言っても良いかもしれませんが、「社畜」という言葉もあるし「家畜化」で良いかと思っています。
 この「家畜化」は、他の動物の家畜化のように行動を物理的に方向付けることによってのみならず、特定の価値観の内面化を強いることによってもなされています。後者はちょっと分かりにくいかもしれませんが、支配する側の価値観を受け入れることによって自らすすんで支配されるようになることです。社会学者のブルデューの概念で「象徴暴力」による「象徴支配」と呼ばれるものだと思っています。「社畜」とか「やりがい搾取」いうのはまさにそれではないでしょうか。ある種の労働者は、資本家に都合の良いような労働者の理想像を受け入れることで、自らすすんで過労するわけです。
 物理的、そして象徴的という両面において、建築は、人間の家畜化のための手段となっている。つまり、物理的に支配しやすい環境をつくることと、どんな環境で生活するのが理想的かについての都合の良い価値観を強いることの両方です。最近「マンションポエム」が話題のようです。滑稽なほど格好付けたマンションの宣伝文句です。これも業界に都合の良い価値観を強いる「象徴暴力」です。
 建築が「家畜化」の手段となっていることには歴史的な経緯があります。山本理顕が言うように近現代の「住宅」は19世紀以降の産業革命の進展に伴って登場した労働者住宅に端を発しています。それ以前は「居住専用住宅などなかった」のであり、住居は仕事場を兼ねていました。そして住居のなかの仕事場は公共空間と私的空間の間にある「閾」の空間でした。閾が人々を結びつけ自立的なコミュニティの成立を可能にしてきました。しかし産業革命によって工場労働者を大量に確保する必要が生じます。労働者住宅は労働力を標準化・均一化し再生産するための手段でした。そこで労働力は家族ごとに分離されて管理されることになります(山本 2015)。私たちにとって分かりやすいのは「団地」や「マンション」です。私的空間と公的空間は鉄の扉で区切られています。山本が「閾」と呼ぶような中間領域は存在しません。現在、京都では多くの町家が壊されてマンションに置き換えられて行っていますが、町家もまた「ミセ」という閾の空間を持っていました。こうして建築は人々のコミュニティを分断し自立性を奪いコントロールするために機能するようになった。

■ 自立


 人間の「家畜化」を問題にしているのは、それが人の「自立」に反するからです。自立とは自分の価値観に準じて生きることです。「当事者研究」についての論考において河野哲也はこう言っています。

 「ここで強調すべき自立とは、単に一人で生活に十分な収入を得るということでもなければ、あるいは、身の回りのことを人の助けを借りずにやれるということでもない。自立とは、何でも一人でできるとうことではない。野性的自然の中で孤独に生活を送るならば、どのような強者でも恐ろしい窮乏生活を余儀なくされるだろう。むしろ、ここで私たちが求めている自立とは、『自分の価値判断に準じて生きられる』ということに他ならない。」

 自分の価値観に準じて生きていれば、人は学習することができます(「探求」と言ってもいいけれど大げさなので「学習」にします)。つまり、自分の価値観に基づく行動の結果からのフィードバックループを通じて、自らの価値観や認識を成熟させていくことができます。こうした循環によって自立がもたらされる。一方で、他律とは他者の価値観に準じて生きることであり、この場合、自分の価値観を成熟させていくことはできません。フィードバックが欠落している。価値観を押しつけることによって支配することが象徴支配ですが、それは学習を停止させるものでもある。
 「自分の価値観」といっても社会や環境との関わりのなかで形成されるものであり、何かのヴェールを取り除くことで自己の本質として見いだされるものではないでしょう。それは常に学習の循環を通じた変化の途上にある。私の倫理観では、学習の循環というのがもっとも大切なのであり、功利主義的な観点から人々に快適な環境を提供することが学習の循環を断ち切ってしまうのなら、それは本末転倒なのです。

■ 自立と多様性

 自立というのは周りの環境と無関係に成立するということではありません。環境と自分の関係をみないといけません。すると自分が自立的であるためには、多様なものに依存することが必要だということがわかります。依存できるものが少ないと、自立が難しいのです。たとえば原発の電気を使うのが嫌でも、使わないことが難しい状況というのは、依存できるものの少なさによる他律ということです。自分のまわりの環境とは、社会的な観点からはコミュニティであるし、フィジカルには建築やインフラだったりします。
 コミュニティや建築は個人の自立をたすけることもできれば、じゃますることもできます。個人の自立をたすけるのは自立的コミュニティであり、個人やコミュニティの自立をたすけるのは、自立的建築や自立的インフラです。

■ 自立的コミュニティ 

 自立的コミュニティとは、自らの価値観に準じて活動するコミュニティです。そこでは「対話」によってその価値観が学習の過程にあります。それは専門家に何が問題かを教えてもらうのではなく、あるいは行政に問題の解決を任せるのではなく、自分たちで感じて考えて動ける、そういうコミュニティです。他律的なコミュニティは他律的な個人を生みます。これは今日の政治の状況における大きな問題なのです。民主主義の前提となるのは自立的な個人ですが自立的な個人は自立的な共同体を前提とします(宮台 2012)。象徴支配によって他律的になった個人は政治に無関心です。政治は政治家に任せて、問題があれば文句を言うだけです。

■ 自立的インフラ

 自立的インフラとは、資源の部分的な自給のことです。集中的にコントロールされたインフラから独立した、分散的インフラです。部分的な自給というのは、依存先を多様化することです。これはジェイコブズの言う「輸入置換」をコミュニティのレベルで行うものだと言うことができるかもしれません。ジェイコブズは都市のレベルでの発展や衰退の理由を分析し、時代の変化によって単一の産業に依拠した都市は衰退するのに対して、多様な産業を持つ都市は継続的に発展すると考えた。そこで重要になるのが輸入置換であり、これはそれまで輸入に頼っていた物を自分たちで生産するようになることです。輸入置換を通して産業が多様化し、金が都市の内部で回るようになる。同じように、コミュニティの外部から入手している物をコミュニティの内部で自給できるようにすることで、コミュニティの能力が多様化し、より自立的になる。またそれは人々が小さな仕事を複数つくってその人の自立性を高めることにもつながるかもしれません。

■ 自立的建築

 今回の主題は自立的建築です。どのような建築が、個人やコミュニティの自立を助けるのか、山本のように空間構成の面から論じることもできるでしょう。空間構成の面で興味深いのは、近年のコミュニティを意識した建築において、セミパブリックな空間にキッチンが置かれることが多いことです。山本が述べる古代ギリシャの住宅において、台所は建物の一番奥にあって、そこでは奴隷が働いていました。
 しかし今回はむしろプロセスの面から見て行きたい。自立的建築とは、自たちの住環境を自分たちの価値観に従って自分たちで作って行くことだと言うことができるでしょう。
 イギリスの建築家でジョン・ターナーという人がいます。ターナーは1950〜60年代のラテンアメリカにおける調査研究を通して、当時優勢であった都市計画においてはスラムとして否定的に捉えられていたインフォーマルな住居に積極的な価値を見いだしました。ターナーはスラムクリアランスの後に建てられる公共住宅のように行政が中心となって計画・建設・管理する「他律的住居システム」と、インフォーマルな居住地のように利用者が中心となって計画、建設、管理を行う「自立的住居システム」を対比します(図1)。そして利用者の満足だけではなく経済的な持続可能性からも後者に優位性があり、公共セクター(public sector)の主な役割は資源の公平な分配に置くべきだと主張したのです(Turner 1976)。

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図1自立的住居システムと他律的住居システム
(出典:John F. C. Turner: Housing by People, Marion Boyars, 1976)

 ターナーが自律的住居システムの優位を主張する論拠となったのは、サイバネティックスの理論家アッシュビーの「必要多様性(requisite variety)」の原理のためである。つまり、システムが安定するためにはコントロールするシステムの多様性はコントロールされるシステムの多様性より大きい必要がある。したがって住居環境をコントロールする組織の多様性は住居環境の多様性より大きい必要があるのである。ラテンアメリカの事例をもとに展開されたターナーの理論が現代日本においても妥当性を持ちうると考えるのは、それがこうした一般的理論に基づいているからです。

■ 再配分、交換、互酬 


 ターナーによる公共セクター、民間セクター、民衆セクターの区分は、行政、市場、コミュニティと言い換えることもできます。それぞれを特徴付けるのは、ポランニーの言う「再配分」、「交換」、「互酬」という3つの経済的パターンです。
 互酬というのはコミュニティの中での相互扶助です。昔の村で屋根の葺き替えをみんなでやるようなやつです。市場における交換は分かりやすいと思います。現代日本では屋根の葺き替え作業は業者に頼むことが多い。市場における交換です。国家は税金を取って公共事業や社会福祉に還元します。そういうのが再配分です。行政が屋根を葺き替えてくれるということはあまり無いかもしれません。しかし水道や道路といったインフラは行政がやってくれる。
 ターナーの活躍した時代の後の新自由主義的傾向とグローバル経済の拡大を経て、今日むしろ問題となるのは民間セクター(private sector)による都市の資本主義的な再開発です。「マルクスが言うように、資本主義は剰余価値(利潤)の永続的追求にもとづいている。しかし剰余価値を生み出すためには、資本家は剰余生産物を生産しなければならない。このことが意味するのは、資本主義は、都市空間の形成に必要とされる剰余生産物を永続的に生産するということである。逆の関係もあてはまる。資本主義は、それが永続的に生み出す剰余生産物を吸収するような都市空間の形成を必要とするということである」(ハーヴェイ 2013)。住居や都市は民間セクターによって資本の拡大のための手段として計画・建設されることになる。このことはしばしば、民衆セクター(popular sector)つまり利用者にとっての住居や都市の使用価値を損なうだけでなく、依存先の多様性を減らし、自立を困難にする。
 イリイチ(1990)は人間の自立と道具の関係を探求した思想家ですが、彼の次の指摘は都市環境について良く当てはまります。「経済の発展=開発はまた、商品なしに暮らすことを可能にしていた諸条件が物理的・社会的・文化的環境から消え去ったがゆえに、まもなく人々が商品を買わざるをえなくなるということをも意味している」。たとえば都市が自動車の利用を前提としたものに作り替えられることによって、自動車なしで生活することが難しくなります。
 今日、行政主導あるいは民間資本主導のまちづくりの両方の弊害が認識され、コミュニティ主導によるまちづくりの重要性が説かれていると思います。こうした背景において、民衆セクターのコントロールに重きを置く自立的住居システムの理論は、依然として妥当性を持つと考えます。私はDIYをこの文脈で理解しようと思っている。DIYは民衆セクターが建築を建築家などの専門家から取り戻す手段になりうる。
 しかし、コミュニティ主導によるまちづくりが、単に地域住民の参加によるまちづくりという意味に捉えられ、「専門家」のコントロールの下で行われるのなら、むしろそれは「家畜化」を押し進めることになる。DIYによる建築のリノベーションもまた、ワークショップとしてパッケージ化され、産業化され、建築家などの専門家にコントロールされるならば同じではないだろうか。イリイチは80年代に「サーヴィスのエキスパートたちが人々の『面倒を見ている』あらゆる領域で、これらの専門家たちは、素人、言い換えると客を自分たちの監視のもとに無報酬で働く助手として引き入れようと躍起になっている」と批判しました。そのようなことにならないようにしたい。
 コミュニティを、市場や行政からは独立した価値観の源泉としてみなすことで、コミュニティが市場や行政の価値観の下に組み込まれることに抗う必要があると考えます。このことはしかし、単に市場の拡張や行政の管理に抗うということではありません。おそらく止めようのない流れがある。楽観的な見方なのかもしれないけれど、3つのセクターがそれぞれに還元不可能なそれぞれの価値観の中でより良いシステムを組織化し、相互の対立をコントラストに変えて行くことは、それぞれにとって好ましくさえあるのではないか。このコントラストの中では、中間色があるだろう。たとえば、市場とコミュニティの中間的な存在である、ローカルビジネス(互酬的な色合いの強い商売)や「小商い」のようなもの。

■ ふたたびエスコーラについて

・自立的コミュニティ
 エスコーラでは運営会議を毎月開いていて、入居者の話し合いで運営しています。また、「ドマ」と名前を付けたコミュニティスペースがあります。だれかいるかなとおもって立ち寄るようなそういう居場所になっている。たまたまそこで食事していたのに加わるようなことがよくあります。自立的コミュニティということについて言えば、運営会議のようなフォーマルな場より、インフォーマルな場のほうが重要なのかもしれません。「ドマ」にはキッチンのほかに本棚があって、これは他の人に読んでほしい本を置く場所です。そのひとがどんなことに関心をもっていて、どんなことを考えているのか、普段の会話ではなかなか出てきにくいものがでてくるきっかけになると良い。
 エスコーラでは、フリマやご飯会などのイベントや、モノづくりなどのワークショップも行っています。最近では好きな音楽について語る会のようなものもあります。自立ということが自分の価値観に準じて生きることであるとしたら、「これいいんじゃない?」と思ったことをすぐに試してみることができる環境が大事です。いいとは思っていてもなかなかきっかけがなくてできないままでいることが多い。はじめの一歩をふみだすことを助ける場所になったらと思っている。
・自立的インフラ
 はじめは電気と水を部分的に自給しようというつもりでしたが、まだ実現していません。電気についてはいろいろ計画中です。今、実現したのは「水耕栽培」です。エスコーラには大きな広場があって畑にしたかったのですが、この場所には工場があったために鉛で汚染されているらしいので、水耕栽培です。採れる野菜の量としてはたいしたことないのですが、依存先の多様化にはなっている。「輸入置換」として「フルムーン食堂」があります。レストランをコミュニティに内部で済ますものです。入居者の大工さんが料理好きで、だいたい毎日、昼と夜、ご飯をつくっています。
・自立的建築 
 ドマにしいたレンガなどはワークショップで施工しました。他に室内の塗装などは自分たちでやっている。構造など主要な部分は大工が施工したのですが、それもそれぞれの大工が自分の裁量で作って行く感じだったそうです。作るということが設計図に書かれた命令の実行でしかないとしたら、それは人間の自立とは全く関係ない。しかし、作ることが作る人の価値観に準じたものであれば、それは人間の自立をうながす。そのためには、作るひとが自分の裁量で作っていく必要がある。部分を作る人が自己裁量でやっても全体として成立するためのデザインを、デザイナーは考えないといけない。
 自立的建築は作って終わりというのではなく、常に変化の途上にある。利用者が関われることが大事です。そのためにはある程度「雑」に仕上がっているほうがいい。あまり奇麗に仕上げると素人は手出ししづらい。エスコーラの建物は80年前の木造ですが、すでに何度も改装を繰り返してきたようで、内部の間取りなどとても変です。仕上げだけでなく空間構成もきっちりしすぎていなく変更しやすい。


プロフィール: 山口純 (やまぐち じゅん)
1983年、川崎生まれ。2007年、京都大学工学部建築学科卒業。2009年、京都大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了。2014年、同博士課程修了(博士論文:C. S. パースの探究の理論に基づく設計プロセスのモデルの構築)。博士(工学)。専門は建築設計方法論。立命館大学専門研究員。本町エスコーラ・ディレクター。大見新村プロジェクトかり部・部長。狩猟免許所持(わな猟)。趣味は革鞣し、靴づくり、ビンテージ自転車の修理。
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by machinamiproject | 2016-07-03 13:14 | Seek machinami | Comments(0)

Seek machinami 03-1 無事開催できました

自律的建築を目指して 〜本町エスコーラの活動〜 無事開催できました。

今回は会場として、旧番組小学校である、旧成徳中学校の1室をお借りできただけたこともあり、
第2部では総勢26名という大人数で議論を交わす事ができました。

年末のご多忙の折、貴重なお時間をいただいた参加者の皆様、発表をしてくださった山口さん、
会場をお貸しいただいた市民大学院関係者の方々、本当にありがとうございました。

当日、参加者の皆様より沢山の意見や議題があがりましたが、
翌日には山口さんからその返答にかわる小文が届きました。
さらにそれに対して再び意見のやり取りが起こるという、大変嬉しい呼応がつづいております。

それらのUPは後日整理して、こちらのページにも載せたいと思います。

引き続きどうぞよろしくお願いします。

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by machinamiproject | 2015-12-10 14:04 | Seek machinami | Comments(0)

12月6日 ―自律的建築を目指して 〜本町エスコーラの活動〜―

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Seek machinami 03-1 (勉強会)を
126日日曜日に開催したいと思います。

自律的建築を目指して
〜本町エスコーラの活動〜


日時: 12月6日(日)
開場: 13:00
開始: 第1部 13:30~14:45
     休憩(15分~30分)
    第2部 15:15~16:30
   
場所:一般社団法人文化政策・まちづくり大学校内     旧成徳中学校2階セミナー室
    京都市下京区高辻通室町西入る繁昌町290番地 (旧成徳中学校)
    地下鉄「四条駅」南改札口より、烏丸通りを南へ約100m、高辻通りを西へ約150m

会費: ¥500(飲み物と資料印刷費)
定員: 20名ほど



自律的建築を目指して 〜本町エスコーラの活動〜

 建築におけるDIY(Do It Yourself)リノベーションによる注目が集まっています。DIYリノベーションは「自律的建築」つまり居住者自らがその価値判断の現れとして作り出していく建築の、一つのあり方として捉えることができるのではないかと思っています。

 本勉強会では自律的建築の理論と実践について議論したいと思います。実践として取り上げるのは、私が携わっている長屋の改修・運営プロジェクトの「本町エスコーラ」です。本町エスコーラは「自律的コミュニティ」、「自律的建築」、「自律的インフラ」を3つのコンセプトとして、空家となっていた8軒の長屋を住居、アトリエ、オフィス、ギャラリー、コミュニティスペースとして改修・運営するものです。

 私たちのこれまでの勉強会で、人間の「家畜化」の問題がひとつの焦点になってきました。人々がますますコントロールされ、支配され、管理されるようになっている。(「植民地化」と言っても良いかもしれませんが「社畜」という言葉もあるし「家畜化」で良いかと思っています)。この「家畜化」は、(他の動物の家畜化と異なり)行動を物理的に方向付けることによってのみならず、特定の価値観の内面化を強いることによってなされています。この両面において、建築は、人間の家畜化のための手段となっている。このことにたいして、建築家はどう応答すべきなのか。

 「家畜化」には歴史的な経緯があります。山本理顕が言うように近現代の「住宅」は19世紀以降の産業革命の進展に伴って登場した労働者住宅に端を発しています。それ以前は「居住専用住宅などなかった」のであり、住居は仕事場を兼ねていました。そして住居のなかの仕事場は公共空間と私的空間の間にある「閾」の空間でした。閾が人々を結びつけ自律的なコミュニティの成立を可能にしてきました。しかし産業革命によって工場労働者を大量に確保する必要が生じます。労働者住宅は労働力を標準化・均一化し再生産するための手段でした。そこで労働力は家族ごとに分離されて管理されることになります。私たちにとって分かりやすいのは「団地」や「マンション」です。私的空間と公的空間は鉄の扉で区切られています。山本が「閾」と呼ぶような中間領域は存在しません。現在、京都では多くの町家が壊されてマンションに置き換えれて行っていますが、町家もまた「ミセ」という閾の空間を持っていました。

 人間の「家畜化」を問題にしているのは、それが人の「自律」に反するからです。自律とは自分の価値観に準じて生きることです。自分の価値観に準じて生きていれば、人は学習することができます。フィードバックループがあります。他律とは他者の価値観に準じて生きることであり、この場合失敗しても結局他者の責任なので人は学習しません。学習の前提となるのは、価値観についてのフィードバックループです。変化に対して開かれていることです。「自分の価値観」といっても社会や環境との関わりのなかで形成されるものであり、何かのヴェールを取り除くことで自己の本質として見いだされるものではないでしょう。周辺環境の雑多なものも含めてうまく循環するようにしていくことが学習だと考えます。私の倫理観では、この学習の循環というのがもっとも大切なのであり、功利主義的な観点から人々に快適な空間を提供することがこの循環を断ち切ってしまうのなら、それは本末転倒なのです。

 自律というのは周りの環境と無関係に成立するということではありません。環境と自分の関係をみないといけません。すると自分が自律的であるためには、多くのものに依存することが必要だということがわかります。依存できるものが少ないと、自律が難しいのです。自分のまわりの環境とは、社会的な観点からはコミュニティであるし、フィジカルには建築やインフラだったりします。
 
 コミュニティや建築は個人の自律をたすけることもできれば、じゃますることもできます。個人の自律をたすけるのは自律的コミュニティであり、個人やコミュニティの自律をたすけるのは、自律的建築や自律的インフラです。
 
 自律的コミュニティとは、コミュニティが自らの価値観に準じて動くことです。あるいは問題を設定し解決するコミュニティという意味です。専門家に何が問題かを教えてもらうのではなく、あるいは行政に問題の解決を任せるのではなく、自分たちで感じて考えて動ける、そういうコミュニティです。これは政治的な観点からも大切です。民主主義の前提となるのは自律的な個人ですが、自律的な個人は自律的な共同体を前提とすると言われています(宮台 2012)。自律的インフラとは、資源の部分的な自給のことです。集中的にコントロールされたインフラから独立した、分散的インフラです。部分的な自給というのは、依存先を増やすことです。

 今回の主題は自律的建築です。どのような建築が、個人やコミュニティの自律を助けるのか、山本のように空間構成の面から論じることもできるでしょう。空間構成の面で興味深いのは、近年のコミュニティを意識した建築において、半公的空間にキッチンが置かれることが多いことです。山本が述べる古代ギリシャの住宅において、台所は建物の一番奥にあって、そこでは奴隷が働いていました。

 しかし今回はむしろプロセスの面から見て行きたい。自律的建築とは、自たちの住環境を自分たちの価値観に従って自分たちで作って行くことだと言うことができるでしょう。

 イギリスの建築家でジョン・ターナーという人がいます。ターナーは1950〜60年代のラテンアメリカにおける調査研究を通して、当時優勢であった都市計画においてはスラムとして否定的に捉えられていたインフォーマルな住居に積極的な価値を見いだしました。ターナーはスラムクリアランスの後に建てられる公共住宅のように行政が中心となって計画・建設・管理する「他律的住居システム」と、インフォーマルな居住地のように利用者が中心となって計画、建設、管理を行う「自律的住居システム」を対比します(図1)。そして利用者の満足だけではなく経済的な持続可能性からも後者に優位性があり、公共セクター(public sector)の主な役割は資源の公平な分配に置くべきだと主張したのです。

図1自律的住居システムと他律的住居システム
(出典:John F. C. Turner:Housing by People,Marion Boyars, 1976)


 
 公共セクター、民間セクター、民衆セクターの区分は、国家、市場、コミュニティと言い換えることもできます。これらは、ポランニーの言う「再配分」、「交換」、「互酬」という3つの経済的パターンに対応しています。

 その後の新自由主義的傾向とグローバル経済の拡大を経て、今日むしろ問題となるのは民間セクター(private sector)による都市の資本主義的な再開発です。「マルクスが言うように、資本主義は剰余価値(利潤)の永続的追求にもとづいている。しかし剰余価値を生み出すためには、資本家は剰余生産物を生産しなければならない。このことが意味するのは、資本主義は、都市空間の形成に必要とされる剰余生産物を永続的に生産するということである。逆の関係もあてはまる。資本主義は、それが永続的に生み出す剰余生産物を吸収するような都市空間の形成を必要とするということである」(ハーヴェイ 2013)。そして、「経済の発展=開発はまた、商品なしに暮らすことを可能にしていた諸条件が物理的・社会的・文化的環境から消え去ったがゆえに、まもなく人々が商品を買わざるをえなくなるということをも意味している」(イリイチ 1990)。住居や都市は民間セクターによって資本の拡大のための手段として計画・建設されることになる。このことはしばしば、民衆セクター(popular sector)つまり利用者にとっての住居や都市の使用価値を損なうのです。

 今日、行政主導あるいは民間資本主導のまちづくりの両方の弊害が認識され、コミュニティ主導によるまちづくりの重要性が説かれていると思います。こうした背景において、民衆セクターのコントロールに重きを置く自律的住居システムの理論は、依然として妥当性を持つと考えます。私はDIYをこの文脈で理解しようと思っている。DIYは民衆セクターが建築を建築家などの専門家から取り戻す手段になりうる。

 しかし、コミュニティ主導によるまちづくりが、単に地域住民の参加によるまちづくりという意味に捉えられ、「専門家」のコントロールの下で行われるのなら、むしろそれは「家畜化」を押し進めることになる。DIYによる建築のリノベーションもまた、ワークショップとしてパッケージ化され、産業化され、建築家などの専門家にコントロールされるならば同じではないだろうか。

 コミュニティを、市場や行政からは独立した価値観の源泉としてみなすことで、コミュニティが市場や行政の価値観の下に組み込まれることに抗う必要があると考えます。このことはしかし、単に市場の拡張や行政の管理に抗うということではありません。おそらく止めようのない流れがある。

 楽観的な見方なのかもしれないけれど、3つのセクターがそれぞれに還元不可能なそれぞれの価値観の中でより良いシステムを組織化し、相互の対立をコントラストに変えて行くことは、それぞれにとって好ましくさえあるのではないか。


参考文献 

Turner, John F. C. : Housing by People, Marion Boyars, 1976
綾屋紗月、河野哲也、向谷地生良 、Necco当事者研究会 、石原孝二、池田喬 、他:当事者研究の研究 (シリーズ ケアをひらく)、医学書院、2013
イリイチ、イヴァン:シャドウ・ワーク、岩波書店、1990
ハーヴェイ、デヴィッド:反乱する都市 資本のアーバナイゼーションと都市の再創造、作品社、2013
深尾葉子 :魂の脱植民地化とは何か、青灯社、2012
ポランニー、カール:経済の文明史、日本経済新聞社、1975
宮台真司(監修):統治・自律・民主主義―パターナリズムの政治社会学、NTT出版、2012
安冨歩:合理的な神秘主義ー生きるための思想史、2013
山本理顕:権力の空間/空間の権力 個人と国家の〈あいだ〉を設計せよ、講談社、2015



プロフィール: 山口純 (やまぐち じゅん)
1983年、川崎生まれ。2007年、京都大学工学部建築学科卒業。2009年、京都大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了。2014年、同博士課程修了(博士論文:C. S. パースの探究の理論に基づく設計プロセスのモデルの構築)。博士(工学)。専門は建築設計方法論。立命館大学専門研究員。本町エスコーラ・ディレクター。大見新村プロジェクトかり部・部長。狩猟免許所持(わな猟)。趣味は革鞣し、靴づくり、ビンテージ自転車の修理。


無事開催できました

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by machinamiproject | 2015-11-09 23:21 | Seek machinami | Comments(0)

12月23日のSeek machinami02-3 場所と時間が決まりました!


12月23日の 時間と場所が決まりました。

13:00開場 13:30開始 です。

場所:RAD office 京都市中京区恵比須町531-13 3F
RADさんの事務所をお借りして開催させていただきます。

13:00 Open
13:30 Start (第1部 松本氏によるレクチャー)
15:00 休憩
15:30 Restart (第2部 座談会)
17:00 終了
参加費 1000円/人 
飲み物食べ物 持込可 
18:00~ 夕食(懇親会)近くのご飯屋さんで ☆参加連絡ください。
参加費 別途
そろそろ参加確定されている方は、このページか、
以下のメールアドレスのご連絡ください。
kyoto.machi.project(@)gmail.com
*@横の( )を消して送信ください。
みなさまどうぞよろしくお願いいたします。
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by machinamiproject | 2014-12-24 00:23 | Seek machinami | Comments(0)

Seek machinami02-3 開催決定!

『都市組織の重層性としての歴史都市』 ―パリ再開発事例の検証


今回は、日本の都市空間から外へ出て、フランスの歴史都市パリにおけるまちなみや都市再開発について、勉強をしようと思います。
18世紀後半フランス革命以降、貴族所有の土地が資本家によりパサージュ(仏: passage)として再開発され,19世紀半ば頃のオスマンによるパリの大改造計画により非衛生的だったパリに光と風を入れることを主目的として再び大規模な都市開発がなされています。さらに現在ではZAC(Zone d’Aménagement Concerté:協議整備区域)とよばれる再開発地区を設定し、先進的で実験的な都市計画事業を計画しています。
このように歴史都市パリは常にある新陳代謝を続けており、その際に発生する諸問題や、解決の歴史、彼らの都市の捉え方などを探りながら、都市組織の重層性としてお話しいただきたいと思います。
また、
前回のスピーカー・石槫督和氏の「都市の生成とマーケット」は、
闇市の発生と衰退を題材として、都市部での災害や戦争をトリガー、残っているインフラや地形を与条件とし、自律的に生まれる運動を観察したものでした。
一転、松本先生が研究されているパリ郊外の再開発は、計画的に「都市を作っていく」行為であり、
前回のマーケットが与条件によって発生するののとは違い都市に対して意図的にきっかけを与え、現象を起こすものだと私たちは考えます。
都市が衰退する・発展するきっかけとはどういうものなのか、再開発の現場では歴史的な価値というものはどう取り扱われるのかなどを松本先生のレクチャーと前回の事例を踏まえ、改めて考える機会をつくりたいと考えます。
前半は松本先生によるフランスパリの都市開発の事例に関するレクチャーをお聞きし、後半は異国の事例を踏まえて、今私たちの住む都市、共同体について、参加者の皆様と議論ができればと思います。

歴史都市がどのように生成変化していくのか、 景観法令において先進国であるフランス国の、現在も政治経済共にその中心であるパリにおけるその仕組みをいくつか事例紹介し、京都はじめ他の歴史都市を未来に向けて考えていくための議論の契機となればと思います。

日時: 12月23日(火曜日祝日)
開場: 13:00(決定)
開始: 13:30~(決定)
場所: RAD office 京都市中京区恵比須町531-13 3F 
会費: ¥1000
定員: 20名ほど

12月23日の 時間と場所が決まりました。

13:00開場 13:30開始 です。
場所はRADさんの事務所をお借りして開催させていただきます。

13:00 Open
13:30 Start (第1部 松本氏によるレクチャー)
15:00 休憩
15:30 Restart (第2部 座談会)
17:00 終了

参加費 1000円/人 
飲み物食べ物 持込可 
18:00~ 夕食(懇親会)近くのご飯屋さんで ☆参加連絡ください。
参加費 別途

参加される方は、できれば以下のメールアドレスのご連絡ください。
kyoto.machi.project(@)gmail.com
*@横の( )を消して送信ください。

みなさまどうぞよろしくお願いいたします。




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プロフィール
松本 裕 (MATSUMOTO YUTAKA)

大阪産業大学 デザイン工学部 建築・環境デザイン学科准教授
1966年生まれ、京都大学工学部建築学科卒業、同大学院建築学専攻修了(工学修士)、同博士後期課程単位取得退学。 フランス国立パリ建築大学ベルビル校(DEA学位)取得。
主な著書・論文:平尾和洋+末包伸吾編、松本裕他著 『テキスト建築意匠』、学芸出版社、2006 
Yutaka MATSUMOTO,“Mutation du tissu parcellaire” in LE SENTIER,BONNE NOUVELLE de l'architecture à la mode, Werner SZAMBIEN et Simona TALENTI (sous la direction de), Action Artistique de la Ville de Paris, 1999, pp.163-165

「<ポスト・オスマン>期のパリ都市空間形成 ―レオミュール通りにおける都市組織の変遷をめぐって―」   『シリーズ 都市・建築・歴史 第6巻-都市文化の成熟』[鈴木博之・石山修武、伊藤毅、山岸常人 編集]、東京大学出版会、2006、pp.315-366.
『ル・コルビュジエ事典』 松本裕 (分担共訳)、ジャック・リュカン監修/加藤邦男 監訳 ジョルジュ・ポンピドー・センター 編、中央公論美術出版社、2007
『卒業設計コンセプトメイキング』、学芸出版社、2008 
「<ナレッジシティー(knowledge City) 都市変換>への試行」
CASABELLA JAPAN、2009/11 781号、pp.34-36
「大都市近郊高密度工業集積地における都市空間形成に関する研究~大阪市における道路整備事業と東大阪の都市的展開」 大阪産業大学産業研究所、2012 、pp.171-195.
田園都市 La Cité-Jardin »,Vocabulaire de la spatialité japonaise, Philippe BONNIN edition, CNRS, 2014,pp.101-104.
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by machinamiproject | 2014-12-23 12:58 | Seek machinami | Comments(0)

『アーカイブを纏う人・建物・街』を終えて、『アーカイブ』を考える対話(後半)

『アーカイブを纏う人・建物・街』を終えて、
『アーカイブ』を考える対話(後半)


『アーカイブを纏う人・建物・街』を終えて、『アーカイブ』を考える対話(前編)はこちら


本間さん:興味深い引用ありがとうございます。
たしかに山口さんのご指摘のように、アーカイブというのは管理や意識/意志の内にあるもので、建築や都市に刻まれた時間や痕跡の厚みは無意識に堆積されていくものですね。(一報で、ベルリンの壁のように意識的に残されたものもありますが) その厚みが少し剥がれて判読可能になったものの一つがトマソンだったりするわけで。路上観察はそれらを積極的/余興的に読み取る行為(趣味)です。
あと関係するところで、篠原一男は建築写真から徹底的に生活感を排除して自分の範疇の空間を撮影させた建築家で有名ですが、縁があって今の「白の家」を見学させていただいた時に、ものすごいインテリアの量で空間が生活感に溢れていて、建築家の恣意の外にある、生活者の時間の厚み(生きられた家)を感じることができて、とても印象的だったことを思い出しました。
とりとめがないですが、山口さんの感想をお聞きして。

北川さん:山口さん、本間さんのコメント、すごく考えさせられます。本人は痕跡を残したくないと思い自然の中に消えていきたいと思っても、次の世代の人がそうしなかったからアーカイブとして残っているという場合もあると思います。 そして、僕が前回あげた例はそれらだと思います。作った本人の意思、恣意を超えて、それを受け取った人が自ずから(無私)媒介者としての役割を果たすということはないでしょうか。それも恣意的な行為だと思います。 山口さんの指摘通り、アーカイブは管理された公式記録ですが、僕が上げた例も、その域を超えないと思います。カルロスカルパのような後人達が価値を見出したものだけが恣意的に残っている例を上げたに過ぎないと思います。本間さんが言うように歴史とはそういう人為的なものだと思います。
アヴァンティップの人達も自然と文化の対立からは完全に逃れられてないようにも感じます。確かに最小限の痕跡しか残してないように人間は考察してても、自然からしたら、一歩人が立ち入るだけで生態系が変わってしまうというような話を熊野古道のくだりで聞いた事があります。 要するに人が入る事自体が人為的な行為であるかもしれません。
山口さんの「アーカイブとは墓や記念碑のようなもの」というのは名言だと思います。確かに実用性は伴わないですね。だから必要とされてないのかもしれないですね。自然の摂理とは全く関係のない人工的な側面も強いと思います。だけど、それって町に必要だ!!みたいなある種ナイーブな話をしているのかもしれないですね(笑)。

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by machinamiproject | 2014-11-30 01:11 | Seek machinami | Comments(0)

『アーカイブを纏う人・建物・街』を終えて、『アーカイブ』を考える対話(前半)

『アーカイブを纏う人・建物・街』を終えて、『アーカイブ』を考える対話(前半)

『アーカイブを纏う人・建物・街』を終えて、『アーカイブ』を考える対話(後半)はこちら

北川浩明さんによるレクチャー『アーカイブを纏う人・建物・街』Seek-machinami02-2を終えて、しばらく経ったある日のこと。
チャット上で、レクチャーの内容をさらに踏み込んで、『アーカイブ』をめぐる様々な対話が、参加者の間で行われました。到底一言で要約できるものではない長大な内容ですので、その全文を掲載します。
勉強会02-1からの続編 『アーカイブ』について考える対話です。



「西洋は、過去の事物を大切に保存し残していく、といったアーカイブの文化があるのに対して、日本は、諸行無情やスクラップアンドビルドといった言葉に表されるような、過去のものを残さない文化である」といった文化比較の構造に疑問が投げかけられるところから、議論が展開していきました。

三木さん
山口さんの出してくれた民族の話(注:アヴァンティップ族は自らの痕跡を残すのではなく、消す文化を持っているというエピソード)は身を守る上で自分たちの痕跡を消さざるを得ないということはわかります。 だとすれば、痕跡を残す(アーカイブできる)われわれは、敵(のような存在)が居ない穏やかな世界に生きている ということにもなります。 けれども、敵が現れることもある。 先日母が観た映画の話をしてくれました。 『華氏451』(監督:脚本:フランソワ・トリュフォー) その世界では文学が危険視され、本をすべて焼くというという世界になったようです。 ”焚書隊が出動する。 現在の消防隊の姿に似ているが、目的はまったく違う。 物語の時代は書物を禁じた世界。 焚書隊は書物を見つけ次第火炎放射器で焼き尽くすのが使命である。”
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E6%B0%8F451
話がそれそうですが、 要するに、「アーカイブできる世界」というのにも今回初めて気がつきました。 確かに中国では政権が変わるたびに前の文化を捨て去ってきたとも習っています。 なので「アーカイブ」することの意味 しないことの意味 「アーカイブ」する、しないという議論は一つありますが、その背景としての社会についても意識的になりました。 それで細尾さんが感想で書いてくれたように、「多様性が保持されることこそが街や社会を考えていく上で、 一番大事な理念になるんじゃないかと思います」という点がキーセンテンスだと私も思います。 数の多少に関わらず、多様多種であることがもしかしたら「強さ」にもなるかもしれない。 とりあえず このあたりが私の北川さんのレクチャーから考えたことです。 ちなみに私は日本=諸行無常感とは思いません。日本に渡ったことで成熟していった文化が沢山あります。 ある意味シツコイというか、考えて活かすことを続けてきた民族かもしれません。 最近知人が言っていました。「日本人が発明したものは数が少ない。 日本人は0から物を生み出した歴史はほぼ無いのではないか」と。 これも突っ込みどころが多く話がそれそうです。とりあえず一旦「アーカイブ」という語の1つの意味を「多様性内包」と置き換えておくとすっきりします。

北川さん:三木さんのご指摘の通り、僕が言った『山口さんが出してくれたアヴァンティップが自然環境に痕跡を留めることを嫌うのは、敵対する集団に待ち伏せと襲撃の機会を与えてしまうからで、人工的な町での住まいかた、痕跡の残し方とは少し違ってくるのではないか』という意見は早合点で、確かに町の中に敵がいないとは言えないですね。
三木さんがいう「アーカイブできる世界」と(したくても)できない世界が時と場所に寄ってはあるというのは、本当にそうだと思います。(その前にアーカイブする世界、しない世界という議論もあるかもしれません) 華氏451は僕も見ましたが、あの映画で僕が面白かったのは、最後、本が焼かれた後、ある隠れ集落みたいな所で一人一人が1冊の本を丸暗記して次の世代に語り継いでいくというところですね。人自体が本(の代わり)になる。本がなくなっても別の仕方でアーカイブをしだすというように僕は捉えました。
細尾さんの「多様性が保持されることこそが街や社会を考えていく上で、 一番大事な理念になるんじゃないか」という意見、僕も同意します。
上記の話も踏まえて、今の日本がアーカイブできる世界なのか、そうではないのか、日本人がアーカイブをするのか、しないのか、アーカイブの仕方が違ってきているのかなど、皆の意見を聞きたいと思います。
少し補足しときますと、城壁に囲まれたイタリアの町の中(敵がいない前提でアーカイブし易い?)と現代日本の町(疎遠な関係、対人恐怖症、仮想敵etc)とではアーカイブの現れ方が随分違ってくるのかと思います。 人間同士の関係、コミュニティがアーカイブを形成しているようにも思います。

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by machinamiproject | 2014-11-30 01:10 | Seek machinami | Comments(0)

Seek machinami 02-2 無事開催できました

02-2 『都市の生成とマーケット』  -戦災復興・都市再生のメカニズム- 無事開催できました。
レクチャーをしていただいた石榑さん、参加いただいた皆様、どうもありがとうございました。
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参加者の皆様にはこれから感想や気づきについてご意見を集めさせていただきます。

今回の勉強会のまとめに関しましては後日このページに載せさせていただきます。
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by machinamiproject | 2014-09-10 15:52 | Seek machinami | Comments(0)


町並・景観についての意見交換・勉強したものを公開します


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